万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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長皇子(ながのみこ)の志貴皇子(しきのみこ)と佐紀宮(さきのみや)に倶(とも)に宴(うたげ)せる歌
秋さらば今も見るごと妻恋(つまこ)ひに鹿(か)鳴かむ山そ高野原(たかのはら)の上
巻一(八四)
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秋になればご覧のように妻を恋う鹿の鳴き声が聞こえる山なのです。この高野原の上は。
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この歌は長皇子(ながのみこ)が志貴皇子(しきのみこ)と共に奈良の佐紀宮で宴をしたときに、長皇子が詠んだ一首で万葉集巻一の巻末を締めくくる歌です。
長皇子は天武天皇の第四皇子で弓削皇子の同母兄弟。
天智天皇の皇子の志貴皇子とは従兄という関係になります。
長皇子については詳しい業績などの記録はほとんど残っていないのですが、自らの孫である軽皇子を天皇にしたいと望む持統天皇の治世下にあって皇位争いに巻き込まれかねない危うい立場にいた人物であったことは想像できます。
実際、長皇子の異母兄である高市皇子が亡くなった際の後継者選定会議で、弓削皇子が同母兄の長皇子を推そうと発言しようとしたのを葛野王(後の橘諸兄)が叱責して制し、後継者に軽皇子に決まったなどの経緯が現代に伝わっています。
この事実などは一見、葛野王が持統天皇側に付いて弓削皇子や長皇子を追い落としただけのようにも取れますが、見方を変えれば軽皇子を後継者にしたかった持統天皇に暗殺されかねない立場にいた長皇子を葛野王が救ったとも見れるように僕には思えるのです。
また、志貴皇子についても、壬申の乱で天武天皇に敗北した近江朝廷側の皇子(天智天皇の子)であったという非常に危うい立場でした。
まあ、この歌が詠まれた時点ではすでに長皇子、志貴皇子ともに皇位争いからは遠い立場にいて命の危険を感じるようなこともなくなっていたかと思いますが、お互いにかつて危うい立場にいたもの同士こころの通じ合うものがあったのかも知れませんね。
そんな政争の場から離れた場所にいた二人の皇子の、穏やかな歌が巻一の巻末を締める一首に選ばれたのはたんなる偶然でしょうか。
僕にはどことなく、自身もまた朝廷での政争に嫌気を感じていた万葉集の編者の大伴家持の意図がそこに感じられるように思えます。
この歌の詠まれた場所である佐紀宮は現在ではどこにあったのかはっきりした位置は分かっていませんが、「高野原の上」と詠まれていることからも、奈良市高の原付近にあったことは想像できます。
それにしても、「秋になれば今聞こえているように妻を恋う鹿の声がひびき渡る山なのです。この高野原は…」との、長皇子の穏やかな語り口まで現在に蘇ってくるようで、なんとも心にしみてくる一首ですよね。
みなさんもぜひ、機会があれば一度、高の原の地に立ってこの歌を実際に口ずさんでみていただきたいと思います。
そうすることで、長皇子と志貴皇子がともに語り合った秋の宴のひとときが千数百年の時を越えて目の前に蘇ってくるような不思議な感覚を味わうことが出来るはずです。
近鉄高の原駅の入り口付近にあるこの歌の歌碑。
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万葉集巻一
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万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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