万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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日並皇子尊(ひなめしのみこのみこと)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并せて短歌

天土(あめつち)の 初(はじめ)の時 ひさかたの 天(あま)の河原(かはら)に

天土(あめつち)の 初(はじめ)の時 ひさかたの 天(あま)の河原(かはら)に 八百万(やほよろづ) 千万神(ちよろづがみ)の 神集(かむつど)ひ 集ひ座(いま)して 神分(かむあが)ち 分(あが)ちし時に 天照(あまて)らす 日女(ひるめ)の尊(みこと) 天(あま)をば知らしめすと 葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国を 天地の 寄り合ひの極(きはみ) 知らしめす 神の命(みこと)と 天雲(ぐも)の 八重かき分けて 神下(かむくだ)し 座(いま)せまつりし 高照らす 日の皇子は 飛鳥(とぶとり)の 浄(きよみ)の宮に 神(かむ)ながら 太敷(ふとし)きまして 天皇(すめろぎ)の 敷(し)きます国と 天の原 石門(いはと)を開き 神あがり あがり座(いま)しぬ わご王(おほきみ) 皇子(みこ)の命(みこと)の 天の下 知らしめせば 春花(はるはな)の 貴(たふと)からむと 望月(もちづき)の 満(たたは)しけむと 天の下 四万(よも)の人の 大船(ふね)の 思ひ憑(たの)みて 天つ水 仰(あふ)ぎて待つに いかさまに 思ほしましか 由縁(つれ)もなき 真弓(まゆみ)の岡(をか)に 宮柱 太敷き座(いま)し 御殿(みあらか)を 高知りまして 朝ごとに 御言(みこと)問はさぬ 日月(ひつき)の 数多(まね)くなりぬる そこゆゑに 皇子の宮人 行方知らずも


巻二(一六七)
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天地創造のはじめのときに遥か彼方の天の河原に、八百万、一千万の神々がお集まりになって、神々をそれぞれの支配すべき国々に神としてお分かちになったとき、天照大神は天を支配されるというので、その下の葦原の中つ国を天地の接する果てまで統治なさる神の命として、天雲の八重に重なる雲をかき分けて神々しくお下りになった天高く輝く日の皇子は、明日香の浄御原の宮に神として御統治なさり、やがて天上を天皇のお治めになる永生の国として天の石門を開いて神としてお登りになった。その後わが大君たる皇子の尊が天下を御統治なさったなら、春の花のように貴いことだろうと、満月のようにみち足りることだろうと、天下のあちらこちらの人々がまるで大船のような大きな期待をもって、天からの慈雨を待ち仰ぐようであったのに、どうしたことか、ゆかりもない真弓の岡に宮殿の柱をりっぱにお建てになり宮殿を高々とお作りになって、毎朝の奉仕にもおことばを賜らぬ月日が多くなったことだ。そのために皇子の宮にお仕えした人々は、どうしたらよいか途方にくれているのです。
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この歌は草壁皇子が亡くなったのを悼み柿本人麿が詠んだ長歌です。
なんとも長大な挽歌で、訳を読んでいてもなかなかに一度では意味を把握しにくいかと思いますが、これからしばらくは草壁皇子の死を悼み舎人たちが詠んだ挽歌を紹介していきたいと思っていますので、その冒頭に収録されているこの柿本人麿の長歌も一応、解説しておきますね^^;

長歌の意味をおおまかに解説すると、天地創造のはじめに天照大神が地上を治める神のひとりとして日並皇子(草壁皇子)を明日香の浄御原の宮にお仕かわしになったとまず詠い、もし日並皇子が天下をすべてお治めになられたらこの世は春の花のように貴く満月のように満ち足りるだろうと人々が期待していたのに、縁もゆかりもない真弓の岡にお眠りになったと、草壁皇子が真弓の岡に埋葬されたことを詠っています。
そして、皇子の生前、明日香の宮殿に出仕のたびに賜った皇子のお言葉を賜らない日が多くなって舎人たちは途方にくれていると、皇子の死を悼んでいます。

まあ、この長歌自体が取り上げられて話題になることはあまりありません(とはいえ優れた長歌に違いはありません)が、この長歌の後に続く草壁皇子を偲んで人麿が詠んだ反歌や、舎人(とねり)たちが詠んだ短歌は万葉集の中でも非常に優れた挽歌ですので、長歌のほうも先に紹介しておきますね。
何度も言いますが、長歌を無視して反歌である短歌だけを論じるのは片手落ちですしね。

これ以前の歌で草壁皇子については何度か触れましたが、大津皇子謀殺の原因としてこの草壁皇子との皇位争いがあったこともあり、あまりよい印象をもたれている方は少ないかも知れませんね。
しかし、これ以後紹介する草壁皇子に仕えた柿本人麿や舎人(宮殿などに出仕し仕える人々)が草壁皇子の死を悲しんで詠んだ挽歌を読んでいただければ、この皇子もまた多くの人々に慕われていたことを実感していただけるかと思います。
もちろん、宮廷歌人や舎人たちが支配階級である草壁皇子の死を悼んで詠んだわけですから、多少大げさな表現になってしまうのは仕方のないことですし、歌の内容をそのまま彼らの心と解釈してしまうのも危険ですが、それでもそこから読み解ける真実の想いがあるように思います。

生まれながらにして病弱だったために皇位争いでは不利な立場に居た草壁皇子。
しかし、その人柄はやはり舎人たちの歌に詠われるように、人々に愛され慕われるものだったのではないでしょうか。


飛鳥駅の南西にある佐田の地に建っている岡宮天皇陵。
宮内庁指定の草壁皇子のお墓です。
(岡宮天皇陵へは高取国際高等学校の前の道を線路沿いに南へ進めば案内板が建っているので分かりやすいかと思います。)


岡宮天皇陵の北、佐田の春日神社境内にある佐田・束明神古墳。


最近の発掘でこの佐田・束明神古墳こそがほんとうの草壁皇子の墓(真弓の岡)ではないかとの説も。

日本書紀には草壁皇子の葬儀は「皇太子草壁皇子尊薨ず」とのみ記載され、非常に質素に執り行われたらしいことがうかがわれます。
この人麿の長歌はもちろん宮廷歌人としての人麿の仕事の一環で詠まれたものですが、これほどに長大になったのは、天皇にもなれず質素な葬儀で送られた皇子をせめて挽歌でぐらいは盛大に送ってあげたいとの持統天皇や人麿の想いゆえだったのかも知れませんね。


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万葉集巻二の他の歌はこちらから。
万葉集巻二


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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