万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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或(まと)へる情(こころ)を反(かへ)さしむるの歌一首并せて序
或(ある)は人あり。父母を敬(ゐやま)ふことを知りて、侍養(じやう)を忘れ、妻子(めこ)を顧みずして、脱履※1(だつし)よりも軽(かろ)みす。自(みずか)ら倍俗(ばいぞく)先生と称(い)ふ。意気(こころばえ)は青雲の上に揚(あ)がるといへども、身体(からだ)は猶(なほ)塵俗の中に在り。いまだ修行得道(しゆぎやうとくだう)の聖(ひじり)を験(あらは)さず。蓋(けだ)しこれ山沢(さんたく)に亡命する民ならむ。所以(かれ)、三綱(さんかう)を指示し、更(また)五教を開き、遺(おく)るに歌を以(も)ちてして、その惑(まどひ)を反(かへ)さむ。歌に曰(いは)く
父母を 見れば尊(たふと)し 妻子(めこ)見れば まぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞ道理(ことわり) 黐鳥(もちどり)の かからはしもよ 行方(ゆくへ)知らねば 穿沓(うげぐつ)を 脱(ぬ)き棄(つ)る如く 踏(ふ)み脱(ぬ)きて 行くちふ人は 石木より 生(な)り出(で)し人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大君(おほきみ)います この照らす 日月の下(した)は 天雲(あまくも)の 向伏(むかふ)す極(きは)み 谷蟆(たにぐく)の さ渡る極(きは)み 聞(きこ)し食(を)す 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに 然(しか)にはあらじか
※1「履」は原文では「尸」+「徒」
巻五(八〇〇)
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父や母を見ると尊く思われる。妻や子を見るとかわいく愛しいと思われる。世の中はこれが道理ではないだろうか。糯にかかった鳥のように逃れられないものなのだ。破れたくつを脱ぎ捨てるように家族を踏み捨ててゆく人は、石や木から生まれた人か。自分の名前を申してみよ。天に行くのなら好きにするがいい。しかし地上にあって暮らすのなら大君の居られるこの日月の下は天雲の向うの果てまですべて大君がお治めになっている素晴らしき国である。まあ君の好きにするがよいが、私が以上に言った通りではないか。
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この長歌は、山上憶良(やまのうへのおくら)の作。
山上憶良は遣唐使として大陸に渡り当時の最新の文化を学んだ経験もあり、その影響か万葉の歌人の中でも異色の作風の歌を多く残しました。
とくに筑前守(筑紫の国の地方官)として九州に赴いてからは、その二年後に大宰師として赴任してきた大伴旅人との交流でお互いに刺激を受けたのか、後の世に筑紫歌壇と呼ばれる、奈良の京とはまた違た独自の歌の文化を形成することになります。
この長歌もそのうちのひとつ。
当時、大陸からの新しい宗教や学問が多く渡来し、その影響を受けて観念的な精神世界に逃亡するものが多く出ました。
序から読み解くに、いわゆる悟りを開き聖になろうとしたといった感じでしょうか。
そんな者たちに対して憶良は説きます。
「父母や妻子を破れたくつのように踏み捨てて行く人は、石や木から生まれた人情のない者か。にわかな修行の道に励んで自ら「先生」と名乗ってみたところで凡人はしょせん俗塵の中にその身を置いているのだ。天に行くなら好きにするがいいがこの地上で暮らすのなら、この地上は隅々まで天皇のお治めになる素晴らしい国だ。家に帰って家族を大切にしなさい。」と…
まあ、いかにも地方の役人といった感じで僕に言わせると生真面目すぎてなんの面白味もないのですが、実際に遣唐使として大陸に渡って学んできた憶良が言う分には説得力がありますね。
この時期、憶良はすでにかなりの高齢であったことも影響しているかと思われますが、説得の歌の形を取った中にも、父や母、妻子を大切にせよとの人情派歌人ともいわれる憶良らしさが感じられる長歌になっているように思います。
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万葉集巻五
万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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