万葉集入門
万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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上宮聖徳皇子(かみつみやのしやうとこのみこ)の竹原井(たかはらのゐ)に出遊(いでま)しし時に、龍田山(たつたやま)の死(みまか)れる人を見て悲傷(かなし)びて作りませる御歌一首〔小墾田宮(をはりたのみや)に天の下知らしめしし天皇(すめらみこと)の代。小墾田宮に天の下知らしめししは豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしぎやひめのすめらみこと)なり。諱(いみな)は額田(ぬかた)、謚(おくりな)は推古(すいこ)〕

家(いへ)にあれば妹が手まかむ草枕旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ

巻三(四一五)
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家にいたなら妻の手を枕にしているだろうに、草を枕の旅に倒れているこの旅人の可哀想なことだ。
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万葉集巻三は前半を雑歌、後半を挽歌で構成されていて、この歌は後半の挽歌の最初に置かれた一首です。
作者は聖徳皇子(しやうとこのみこ)と言われており、日本書記などにあるいわゆる聖徳太子伝説の歌です。

日本書紀などによると、聖徳太子が片岡に遊行された際、一人の異人が道に伏して飢餓に苦しんでいました。
太子はこれを憐れんで衣食を給し、一首の和歌を詠んで去られました。
翌日、飢餓に苦しんでいた異人は亡くなり、太子は側近の者に命じて厚く葬らせたそうです。
ところが後日、その屍を検視したところ、屍は消え衣服だけが棺の上に残されていました。
世人はこれを達磨の化身だといい、その奇跡に驚いたそうです。

日本書紀にはこの時の太子の歌をを「級(しな)照る 片岡山に飯(いひ)に飢えて 臥せる その旅人あはれ 親なしに 汝(なれ)生(な)りけめや 刺(さす)竹の 君はや無き飯に飢て 臥せる その旅人あはれ」として記録されており、万葉集の歌はこれをもとにしたものと思われます。


奈良県桜井市上宮春日神社にあるこの歌の歌碑。



奈良県王寺町にある達磨寺(だるまじ)。
ここが聖徳太子が飢え人の姿をした達磨大師に出会った地と云われています。



達磨寺にある問答石。
こちらは達磨石で、10メートルほど南には太子石もあります。



達磨石と向き合った形である太子石。
この二つの石の場所で達磨大師と聖徳太子が歌を交し合ったという伝説です。



達磨寺の境内の西に見える片岡山。
序書にある龍田山はこの片岡山のことかと思われます。

達磨寺と聖徳太子の伝説については「達磨寺探訪」(外部サイト)にも詳しくまとめておきましたので、また参考にしてみてください。


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万葉集巻三の他の歌はこちらから。
万葉集巻三


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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