万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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紀伊国(きのくに)に幸しし時に、川島皇子(かはしまのみこ)の作りませる御歌 或は云はく、山上臣憶良の作
白波(しらなみ)の浜松が枝(え)の手向草幾代(たむけぐさいくよ)までにか年の経(へ)ぬらむ
〔一は云はく、年は経にけむ〕
日本紀に曰はく「朱鳥(あかみとり)四年庚寅(かういん)の秋九月、天皇紀伊国に幸(いでま)す」といへり。
巻一(三十四)
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白波の寄せる浜松の枝に結んだ手向け草はどれだけの時間を経ているのだろう〔一は云はく、どれだけの時間を経てきただろう〕
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この歌は天皇が紀伊国に行幸された時に川島皇子(かわしまのみこ)が詠んだ一首。
ただし、題詞によると山上憶良(やまのうへのおくら)の代作のようですね。
川島皇子は天武天皇の皇子。
歌の後の左記によればこの行幸は持統天皇が朱鳥(あかみとり)四年庚寅(かういん)の秋九月に紀伊に幸されたときのことのようです。
「白波の浜松が枝」とありますが、これは有間皇子(有馬皇子)が謀反の疑いで捕えられ紀伊国に移送されるときに松の枝を結んで旅の無事を祈った磐代の浜松と同じ場所でしょう(巻二:一四一参照)。
川島皇子たちが通ったときにも旅の者たちが無事を祈った手向けの幣などが結ばれていたのでしょうが、おそらくはそれを見て有間皇子事件を思い出し皇子の魂を慰める鎮魂歌としてこの歌を詠んだものと思われます。
有間皇子の無念の魂を鎮める呪文としての鎮魂歌であるので別段、実作者は誰でもよく、魂を鎮めるためにその場の皆が口ずさんで唱えることが出来ればよかったわけですね。
このように、有間皇子の無念の想いは、後の世の人々の心に深く刻まれてこの地を訪れたときにはその無念の魂を慰める歌を詠んで通ったようです。
奈良県明日香村真弓にあるマルコ山古墳。
ここが川島皇子の墓との説が有力だそうです。
マルコ山古墳解説。
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万葉集巻一
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県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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