万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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讃岐国安益(さぬきのくにあや)郡に幸(いでま)しし時に、軍王(いくさのおほきみ)の山を見て作れる歌

霞経つ長き春日の 暮れにける わづきも知らず 村肝(むらぎも)の 心を痛み 鵺※1子鳥(ぬえこどり) うらなけ居れば 玉襷(たまだすき) 懸(か)けのよろしく 遠つ神 わご大君の 行幸(いでまし)の 山越す風の 独り居る わが衣手(ころもで)に 朝夕(あさよひ)に 返らひねれば 丈夫(ますらを)と 思へるわれも 草枕(くさまくら) 旅にしあれば 思ひ遣(や)る たづきを知らに 網(あみ)の浦の 海処女(あまをとめ)らが 焼く塩の 思ひそ焼くる わが下ごころ

※1:「鵺」は原文では「空」+「鳥」

巻一(五)
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霞立つ長き春日が暮れていくように、理由もなく心が痛み、鵺鳥のように泣いていると、美しい襷を懸けるように遠き神であられるわが大君のいらっしゃる山を越えて、風が、独り居る私の袖を朝夕にひるがえらせるので、立派な男子と思っていた私も草を枕の旅にあって憂いを晴らす術も知らずに、網の浦の、海の海女(あま)処女たちが焼く塩のように、(家に残した妻を思って)心が焼けているよ。私の心の中は。
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この歌は、舒明天皇(じょめいてんわう)が讃岐国安益郡(現在の香川県綾歌群)に行幸された時に、従駕した軍王(いくさのおほきみ)が詠んだとされる長歌です。
実際には舒明天皇が讃岐国安益郡に行幸されたとする記録はないのですが、この歌につけられた反歌の左注によると、〔山上憶良大夫(やまのうへのおくらのめへつきみ)の類聚歌林(るいじうかりん)に曰く「記に曰く『天皇十一年己亥(きがい)の冬十二月己巳(きし)の朔(つきたち)の壬午(じんご)、伊予の温湯(ゆ)の宮に幸(いでま)す云々』といへり。」〕とあるので、このとき道後温泉に行幸した帰りに讃岐国安益郡にある国府に立ち寄ったのではないかと思われます。

軍王(いくさのおほきみ)については詳しいことはなにも伝わっていないのですが、百済系王族の渡来人という説もあるようです。
この歌ではそんな天皇の行幸に従った軍王が、山を越えて吹き来る風に心をかき乱される不安を鎮めようとして祈りの歌を詠っています。
「丈夫(立派な男子)と思っていた自分が憂いを晴らす術も知らずに、海の海女(あま)処女たちが焼く塩のように、(家に残した妻を思って)心が焼けています」と、家に残してきた妻を思うことでその心の不安を鎮めようとしているわけですね。
(この長歌自体には「妻」とは詠われていませんが、長歌の内容を集約した次の反歌で家に残してきた妻に心を寄せることで不安を抑えようとしていることがはっきりと詠われます。)

この後、他の歌でもたびたび出てきますが、この時代の旅する者は独り寝の寂しさに心が散って消えてしまわないようにと家に残してきた妻を一心に思って歌を詠み、その心の不安や動揺を鎮めようとしました。
同時に、家にいる妻も、旅先の夫の無事を祈って、旅先の土地や道々の神や精霊に夫を守ってくれるようにとの祈りの歌を詠みました。
万葉集に出てくるこれらの歌は、妻と夫がお互いを思う祈りの歌を詠むことで家を守ろうとした夫婦の共同作業でもあったわけですね。


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万葉集巻一の他の歌はこちらから。
万葉集巻一


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万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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