万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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長皇子(ながのみこ)の皇弟(すめいろと)に与へたる御歌一首

丹生(にふ)の河瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛(こひた)きわが弟(と)こち通ひ来(こ)ね

巻二(一三〇)
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丹生の川を浅瀬も選ばずどんどん渡ってゆくように、どんどんと恋しい弟よ、こちらへ通っておいで。
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この歌は長皇子(ながのみこ)が弟の弓削皇子(ゆげのみこ)に贈った一首。
長皇子と弓削皇子は天武天皇の皇子で同母兄弟でした。

ただ、この時期、同じ天武天皇の皇子の中でも実子である草壁皇子を次の天皇にと願っていた沙羅羅皇后によって異母兄の大津皇子が謀反の罪を着せられて処刑されるなど、天武天皇亡き後の後継者争いの中でこの二人もまた微妙な危うい立場にいたことが想像できます。
それゆえでしょうか、同じ母を持つ兄弟として長皇子と弓削皇子はとくに深い兄弟愛があったようですね。
また、弓削皇子は病弱なところがあった(実際に、二〜三十代の若さでこの世を去ります)ようで、兄の長皇子には愛おしくて仕方のない弟だったのでしょう。

そんな弟に対して「丹生の川を浅瀬も選ばずどんどん渡ってゆくように、どんどんと恋しい弟よ、こっちへ通っておいで。」と、愛情を隠そうともせずに詠い掛けたほんとうにやさしさの感じられる一首ですよね。
この歌からもこの同母兄弟がお互いをいかに大切に思い合う仲の良い兄弟であったかが想像できます。


奈良県吉野郡下市町にある丹生川上神社(下社)前を流れる丹生川。
(丹生川は吉野山中に発して奈良県五条市で吉野川に合流するものと、宇陀郡に下るものがありますが、長皇子がどのあたりを想像して詠んだのかは不明。)



奈良県吉野郡下市町の丹生川上神社(下社)。

丹生川上神社は天武天皇のころに「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」との御神教により創祀された由緒ある神社でしたが、戦国時代以降廃絶しいつしかその所在地も分からなくなってしまいました。
その後、明治時代になりその場所が研究され、川上村の神社(現:丹生川上神社上社)と下市町の神社(現:丹生川上神社下社)が比定。
さらに大正時代になって東吉野村の蟻通神社(現:丹生川上神社中社)もその場所として丹生川上神社と称されるようになりました。
そのような経緯で、現在、丹生川上神社は上・中・下(これは便宜上の区別で、神社の位や位置を表すものではありません)の三神社が存在しています。



丹生川上神社に奉献された神馬。
祈雨祈願の際には黒馬、止雨祈願の際には白馬が奉献されるのだそうです。


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万葉集巻二の他の歌はこちらから。
万葉集巻二


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県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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