万葉集入門
万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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或る本の歌一首并せて短歌

石見(いはみ)の海(うみ) 津の浦(うら)を無み 浦無しと 人こそ見らめ 潟(かた)無しと 人こそ見らめ よしゑやし 浦は無くとも よしゑやし 潟は無くとも 勇魚(いさな)取り 海辺を指して 柔田津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青なる 玉藻沖つ藻 明(あ)け来れば 浪こそ来(き)寄せ 夕されば 風こそ来寄せ 浪の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 靡きわが宿(ね)し 敷栲(しきたへ)の 妹が手本(たもと)を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万度(よろづたび) かへり見すれど いや遠に 里放(さか)り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ 愛(は)しきやし わが嬬の児が 夏草の 思ひ萎(しな)えて 嘆くらむ 角(つの)の里見む 靡けこの山

巻二(一三八)
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石見の海の津の浦を、船を泊めるよい浦がないと人は見るだろう。藻を刈るのによい潟がないと人は見るだろう。たとえよい浦はなくても、たとえよい潟はなくても鯨でさえ捕れるほどの海から海岸に向けて、柔田津の荒磯の上に青々とした美しい藻、海底の藻を、朝が来れば波が寄せ、夕方には風が寄せて来る。その波のように私に寄りかかり寄る、美しい藻のように側によって私が寝た敷栲の妻の袂を、露霜の置くように家に置いてきたので、この旅路の道のたくさんの曲がり角ごとに、何度も何度も振り返ってみるけれど、ますます妻のいる里は遠くなってしまった。ますます高く山も越えてきてしまった。愛しくて仕方ないわが妻である子が夏草の萎えるようにように恋しさに萎えて嘆いているだろう。妻のいる角の里を見たいものだ。靡け山々よ。
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この歌も石見の国(現在の島根県の西半分)に赴任していた柿本人麿が大和へ戻る際に石見の国に残してきた現地妻を思って詠んだ一首で、巻二(一三一)の歌の異伝です。
内容自体は巻二(一三一)の歌とまったく同じですが、語句などが少し変わっていますね。
万葉集の歌の中にはこの歌のように同じ歌が異伝として少し形を変えて伝わっているものが多く含まれていますが、この時代の人々には著作権という概念などは当然無く、歌が呪術的な言霊の記録として伝誦される過程で享受者などによってこのような語句の変化を見せたのでしょう。

書物などへの記載の際か、あるいはそれ以前の口伝の過程で変化したのか…
場合によっては人麿自身が歌を記録として残す際に時期によって語句を推敲した可能性なども考えられるかと思いますが、このように同じ歌の異伝がどのような意図を持って語句の変化として表れたのかを想像し、比べてみるのも万葉集の楽しみのひとつといえるのではないでしょうか。


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万葉集巻二の他の歌はこちらから。
万葉集巻二


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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