万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
スポンサード リンク
長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ)の結び松を見て哀(かな)しび咽(むせ)べる歌二首
磐代(いはしろ)の岸の松が枝(え)結びけむ人は帰りてまた見けむかも
巻二(一四三)
-----------------------------------------------
磐代の岸の松の枝を結んだという人は、その後帰ってきてまた松を見たのだろうか。
-----------------------------------------------
この歌は長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ)が持統天皇の紀伊行幸(持統四年のことか)に従駕したときに、磐代の結び松を見て詠んだとされる一首。
「結びけむ人」とはこの場合は遠い昔に磐代の松を結んだとされる有間皇子を思い出してのもので、長忌寸意吉麿たちのこの時代にもまだ松を結ぶ風習は残っていたものと思われます。
巻二(一四一)で有間(有馬)皇子事件のことは解説しましたが、謀反の企みが露見した有間皇子は中大兄皇子のいる行幸先に尋問を受けるため移送されるときに磐代の浜松を結んで道の無事を祈りました。
「盤代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む(磐代の浜松の枝を結び合わせてこれより先の無事を祈ろう。命があって帰ってこれたらまたこの枝を見たいものだなあ。)」と…
その後に、有間皇子は中大兄皇子の尋問を受けた帰り道に藤白の坂に至っとところで絞殺され、自分が結んだ松の枝をふたたび見たかどうかは定かではありません。
有間皇子事件についてはおそらく当時の多くの人々も中大兄皇子の策謀と知っていたようで、有間皇子が祈った磐代の浜松にはまだその無念の思いが残っていると強く感じていたようです。
持統天皇の行幸にしたがってそんな磐代の岸を行く時に、長忌寸意吉麿たちも道の無事を祈って浜松を結んだのでしょう。
そして、自分たちの前に結ばれていた松の枝を見て、遠い日の有間皇子の無念を思い出したことと思います。
「かつてこの岸の松の枝を結んで道の無事を祈ったといわれる有間皇子は、そののち自分の結んだ松の枝を見ることが出来たのだろうか…」と。
そんな有間皇子の魂を慰める鎮魂歌として、この場にいた多くの者たちが長忌寸意吉麿の詠んだ歌をともに口ずさみ皇子の無念の魂を慰めたことでしょう。
スポンサード リンク
関連記事
万葉集巻二の他の歌はこちらから。
万葉集巻二
万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
万葉集入門(トップページ)へ戻る
当サイトはリンクフリーです、どうぞご自由に。
Copyright(c) 2015 Yoshihiro Kuromichi (plabotnoitanji@yahoo.co.jp)
スポンサード リンク
欲しいと思ったらすぐ買える!楽天市場は24時間営業中
Amazon.co.jp - 通販