万葉集入門
万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

スポンサード リンク


山科(やましな)の御陵(みささき)より退(まか)り散(あら)けし時に、額田王の作れる歌一首

やすみしし わご大君の かしこきや 御陵仕(みはかつか)ふる 山科(やましな)の 鏡の山に 夜(よる)はも 夜(よ)のことごと 昼はも 日のことごと 哭(ね)のみを 泣きつつ在(あ)りてや 百磯城(ももしき)の 大宮人(びと)は 去(ゆ)き別れなむ

巻二(一五五)
-----------------------------------------------
あまねく国土をお治めになられたわが大君の恐れ多いことです。その御陵としてある山科の鏡の山に、夜は一晩中、昼はひねもす、さめざめ泣き続けて侍宿したももしきの大宮人も、いまはもう去り別れ行くのでしょうか。
-----------------------------------------------

この歌も天智天皇が亡くなったときに詠まれた挽歌で、作者は額田王(ぬかたのおほきみ)です。

天智天皇の御陵は京都市の山科にありますが、この歌は天皇の遺体を御陵に埋葬したのち額田王たちが御陵に侍宿して冥福を祈った時のものと思われます。
(御陵の造営がはじまってすぐに壬申の乱がおこり造営が遅れたのでこの歌の時点での埋葬は仮のものだったのでしょう。)
そんな侍宿の自分たちも四十九日を過ぎて御陵から去ることになったけれど、御陵に眠る天智天皇の魂はきっと寂しがっているだろうとの天皇との別れを惜しむ一首ですね。

「夜は一晩中、昼はひねもす、さめざめ泣き続けて侍宿した」との表現は、天智天皇の死を惜しむ最大の鎮魂の言葉と言えるでしょう。
同時に、「私たちはここを去るけれど、こころは常に天皇の魂の側にありますよ」との、額田王の想いも伝わってくるようなそんな心のこもった挽歌のように思います。

以上、巻二(一四七)の歌からこの歌までが天智天皇の死を悼む挽歌です。


スポンサード リンク


関連記事
万葉集巻二の他の歌はこちらから。
万葉集巻二


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

万葉集入門(トップページ)へ戻る

当サイトはリンクフリーです、どうぞご自由に。
Copyright(c) 2014 Yoshihiro Kuromichi (plabotnoitanji@yahoo.co.jp)


スポンサード リンク


欲しいと思ったらすぐ買える!楽天市場は24時間営業中

Amazon.co.jp - 通販