万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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弓削皇子(ゆげのみこ)の薨(かむあが)りましし時に置始東人(おきそめのあづまびと)の作れる歌一首并せて短歌

やすみしし わご大君 高光(ひか)る 日の皇子(みこ) ひさかたの 天(あま)つ宮に 神ながら 神と座(いま)せば 其(そこ)をしも あやにかしこみ 昼はも 日のことごと 夜(よる)はも 夜(よ)のことごと 臥(ふ)し居嘆(ゐなげ)けど 飽き足(た)らぬかも

巻二(二〇四)
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あまねく国土をお治めになるわが大君、その高く光る日の皇子がはるか天空の天の宮に、神々しく神としておいでなされたので、それを不思議なほど畏れ、昼はひねもす、夜は一晩中、臥して嘆くけれど心は満たされないことだ…
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この歌は、弓削皇子(ゆげのみこ)の亡くなったときに置始東人(おきそめのあづまびと)が詠んだ挽歌です。
弓削皇子は天武天皇の皇子で、長皇子の同母弟。
はっきりとした年齢は分かりませんが二〜三十代の若さで亡くなったようで、その死については紀皇女との恋愛がらみの処刑説(文武天皇の后であった紀皇女と不倫関係になったとする説※1)など後世に様々な説が唱えられていますが、はっきりとしたことはなにも分かっていないようです。

※1:紀皇女が文武天皇の后であった記録などはなにもないのであくまでも一つの仮説です。

まあ、もともと病弱だったと想像できるような弓削皇子自身の歌が万葉集の中にもあるので、病死の可能性も高いかと思いますが…
この歌はそんな弓削皇子の死に対して置始東人が詠んだ挽歌ですが、「日の皇子である弓削皇子がはるか天空の天の宮殿においでになった」と、その死を詠っているわけですね。
そして「昼はひねもす、夜は一晩中、皇子の死を悲しんで嘆くけれど心は一向に満たされないものだ」と、皇子が亡くなった悲しみを嘆く内容となっています。

正直なところ、おなじ天武天皇の皇子の死を詠った挽歌の中でもかなり短い内容でそっけなさすら感じる歌ですが、それもおそらくは文武天皇の治世下で弓削皇子が皇族としての重要な位置から外れたところに置かれていたからと想像できます。
ただ、その短さが逆に夭折の弓削皇子らしい儚さを際立たせているようにも感じられて魅力的に感じるのはきっと僕だけではないでしょう。


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万葉集巻二の他の歌はこちらから。
万葉集巻二


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県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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