万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)の妻死(つまみまか)りし後に泣血(いさ)ち哀慟(かなし)みて作れる歌二首并せて短歌

天飛(あまと)ぶや 軽(かる)の路(みち)は 吾妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲(ほ)しけど 止(や)まず行(ゆ)かば 人目を多(おほ)み 数多(まね)く行かば 人知りぬべみ 狭根葛(さなかづら) 後(のち)も逢(あ)はむと 大船(おほふね)の 思ひ憑(たの)みて 玉かぎる 磐垣淵(いはかきふち)の 隠りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるが如 照る月の 雲隠(かく)る如(ごと) 沖つ藻の 靡(なび)きし妹(いも)は 黄葉(もみちば)の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)の言へば 梓弓(あづさゆみ) 声(おと)に聞きて〔一(ある)は云はく、声(おと)のみ聞きて〕 言(い)はむ術(すべ) 為(せ)むすべ知らに 声(おと)のみを 聞きてあり得(え)ねば わが恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 情(こころ)もありやと 吾妹子(わぎもこ)が 止(や)まず出で見し 軽の市(いち)に わが立ち聞けば 玉襷(たまだすき) 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声(こゑ)も聞こえず 玉鉾(たまほこ)の 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹(いも)が名喚(よ)びて 袖(そで)そ振(ふ)りつる〔或る本に「名のみ聞きて あり得ねば」といへる句あり〕

巻二(二○七)
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空を飛ぶように軽い軽の路は、僕の妻の住む里なので何度でも見たいのだけれど、止むことなく人の行き交うので人目も多く、何度も行くと人に知られてしまうので、さね葛のからむように後で逢おうと大船のような期待をもつ気持ちで、玉が石に囲まれた淵に隠れるように恋していたのに、太陽が西に渡って暮れていくように、照る月が雲に隠れる如く、沖の藻が靡くように靡いた妻は黄葉の散るように亡くなってしまったと玉梓を携えた使いのものが伝えてきた。梓弓の音を聞くように知らせを聞いて〔一(ある)は云はく、知らせのみ聞いて〕、言う術もどうする術もなく、知らせだけを聞いてじっとしていられずに、僕の恋する千分の一でも慰められるだろうと妻がいつも出て見ていた軽の市に僕も立って聞いてみると、美しい襷をかけるような畝傍の山に鳴く鳥の声も聞こえず、玉鉾の道を行く人も一人として妻に似た人は行かないので、しかたなく妻の名を呼んで魂よ帰っておいでと袖を振ったことです〔或る本に「妻の名を聞いているだけでは堪えられないので」という句あり〕。
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この歌は、柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)の軽(かる)の地にいた妻が亡くなった際に、人麿(人麻呂)が哀しんで詠んだ挽歌です。
この長歌と、長歌に付けられた反歌が二首の非常に長い歌となっていますが、それだけに人麿がどれほどこの軽の妻の死を哀しんだことがうかがえますね。
題詞には「泣血(いさ)ち」と、血の涙を流して哀しんだともありますが、けっして大げさな表現ではなかったように感じられます。

「軽(かる)」というのは現在の奈良県にある橿原神宮駅の東、剣池の南西に「法輪寺(軽寺跡)」や「応神天皇軽島豊明宮跡」などがあるので、その周辺に人々の集まる市がたっていたものと思われ、人麿の隠妻もこのあたりに住んでいたのでしょう。
歌の内容からも分かるようにこの妻はなんらかの理由で人に知られないように持つ「隠妻(こもりづま)」だったらしく、人に知られないようにと妻の家に頻繁に通わずにいた内に亡くなったしまったようですね。

そんな「亡くなった妻にもう一度逢いたいと軽の市に立ってはみたけれど、畝傍の山に鳴く鳥の声も聞こえず妻によく似た人すら通らないので、妻の名を呼んで袖を振ったことです。」と、なんとも切ない思いが切実な言葉となって詠われていますね。
「袖を振る」とはこの時代の術式のようなもので、「おいでおいで」と袖を振って恋しい人の魂(生者死者にかかわらず)を自分のほうに引き寄せる行為のことです。
なんだか、隠妻の名を呼びながら涙を流して袖を振る人麿の姿が、目に浮かんでくるような哀しい一首ですよね。


近鉄吉野線岡寺駅のすぐ西にある牟佐坐神社の前にこの歌(歌の一部のみ)の歌碑があります。



奈良県にある橿原神宮駅の東、剣池の南西にある「法輪寺(軽寺跡)」。
この辺りに軽の市があり人麿の隠妻も住んでいたのでしょうか。



軽寺跡解説。



法輪寺(軽寺跡)の裏(北側)には「応神天皇軽島豊明宮跡」があり、万葉集巻十一(二六五六)の歌の歌碑などもあります。


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万葉集巻二の他の歌はこちらから。
万葉集巻二


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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