万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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式部卿藤原宇合卿(ふじはらのうまかひのまへつきみ)の難波(なには)の都※1を改め造らしめらえし時に作れる歌一首
昔こそ難波田舎(なにはゐなか)と言はれけめ今は京引(みやこひ)き都(みやこ)ぶにけり
※1:「都」は原文では「土」偏+「者」
巻三(三一二)
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昔こそ難波田舎と言われただろうけれど今は京の様々なものを引いてきていかにも都らしくなったなあ。
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この歌は藤原宇合卿(ふじはらのうまかひのまへつきみ)が難波宮(なにはのみや)を誉め讃えた一首。
藤原宇合(ふじはらのうまかひ)は藤原不比等(ふじはらのふひと)の子で、いわゆる藤原四兄弟(武智麿・房前・宇合・麿)の三男。
難波宮は仁徳・孝徳天皇の頃の旧都ですが、朱鳥三年(六八六)年に起こった火災で大極殿などが全焼してしましました。
そのまま長い間放置されていたのを、神亀三年(七二六)年、聖武天皇の命によって藤原宇合が知造難波宮事に任命されて宮の再建が行われました。
この歌はそんな知造難波宮事の任についた宇合が再建されてゆく難波宮を詠んだ宮讃めの歌。
「昔こそ難波田舎と言われただろうけれど今は京の様々なものを引いてきていかにも都らしくなったなあ。」との、難波宮が再建された様子が実際に目に浮かんでくるような一首ですね。
「京の様々なものを引いてきて」とあるように、難波宮の再建には実際に奈良の平城京からの建物の移築などもあったようです。
ただ、この歌が詠まれたのは藤原宇合が知造難波宮事に任命された直後のことで、この時点では実際にはまだ難波宮の再建工事ははじまってもいなかったようです。
つまりは、再建された難波宮を想像して「都ぶにけり(いかにも都らしくなったなあ)」と詠うことで、言霊の力で実際にそんな都の出現を実現させようとした知造難波宮事としての儀式的な呪術歌なわけですね。
少し前の人麿たちの時代ほどではないにしても、まだこのように言霊の力を信じる心は人々の中にしっかりと残っていたようです。
後期難波宮復元模型(大阪歴史博物館)。
まさに「都ぶにけり」といった感じですね。
大阪歴史博物館内にある後期難波宮の大極殿内実物大復元模型。
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万葉集巻三
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万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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