万葉集入門
万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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暮春の月に芳野(よしの)の離宮(とつみや)に幸(いでま)しし時に、中納言大伴卿(おほとものまへつきみ)の勅(みことのり)を奉(うけたまは)りて作れる歌一首〔并せて短歌、いまだ奏上を経(へ)ざる歌〕

み吉野(よし)の 芳野(よしの)の宮は 山柄(やまから)し 貴(たふと)くあらし 川柄(かはから)し 清(さや)けくあらし 天地(あまつち)と 長く久しく 万代(よろづよ)に 変わらずあらむ 行幸(いでまし)の宮(みや)

巻三(三一五)
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み吉野の吉野の宮は、その山故か貴くあるらしい。その川ゆえか清らかであるらしい。天地とともに長く久しく万年も変わらずにあるだろう大君の行幸の宮よ。
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この歌は、大伴旅人(おほとものたびと)が天皇の吉野の行幸に随行した際に、天皇の命を受けて詠んだ長歌です。
旅人らしいのびのびとした「調べ(リズム)」のよい土地讃めの一首になっていますが、この歌はなんらかの理由でけっきょく天皇への奏上はされなかったようですね。

大伴旅人は万葉集の編者ともいわれる大伴家持(おほとものやかもち)の父で、この後、大宰府の長官として九州の筑紫(つくし)へ派遣されることとなります。
この筑紫への派遣は、新羅との関係が拗れ出してきたきたことによる必要性から武門の名門である大伴家の旅人が選ばれたといわれる一方で、新興貴族の藤原家と対立していた旅人が左遷され遠い地に追いやられたのだとする説などもあります。
この巻三(三一五)の歌が詠まれたころはちょうど旅人たち旧貴族と新興貴族の藤原家の関係がとくに悪化し出した頃であり、この歌が奏上されないままに終わったことも藤原家のなんらかの横槍でもあったのかと勘ぐってしまうのは僕だけでしょうか。

ただ、どのような環境の中にあってもその大らかさが歌の中に感じて取れるのは旅人という人物の魅力のようにも思います。


史跡宮滝遺跡。
吉野宮はいまの中莊小学校(現在はすでに閉校し野外学校として利用されています。))のあたりにあったといわれています。



吉野の象山(きさやま)。
山柄し 貴くあらし。



吉野川。
川柄し 清けくあらし。


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万葉集巻三の他の歌はこちらから。
万葉集巻三


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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