万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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勝鹿(かづしか)の真間娘子(ままのをとめ)の墓を過ぎし時に、山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)の作れる歌一首并て短歌 〔東(あづま)の俗語(よのこと)に云はく、かづしかのままのてご〕
古(いにしへ)に 在(あ)りけむ人の 倭文幡(しつはた)の 帯解(おびと)きかへて 伏屋(ふせや)立て 妻問(つまど)ひしけむ 葛飾(かづしか)の 真間(まま)の手児名(てこな)が 奥(おく)つ城(き)を こことは聞けど 真木(まき)の葉や 茂(しげ)りたるらむ 松の根や 遠く久しき 言(こと)のみも 名のみもわれは 忘らえなくに
巻三(四三一)
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昔居たという男が倭文幡の帯を解き合い、妻屋を立てて愛を交し合ったという葛飾の真間の手児名の墓はここだと聞いたけれど、真木の葉が茂ってしまったのだろうか。松の根のように遠く久しい出来事になってしまったのだろうか。墓はなくとも、言い伝えだけでも、その名前だけでも、私は忘れることはないよ。
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この歌は勝鹿(かづしか)の真間娘子(ままのをとめ)の墓の側を通った時に、山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)が詠んだ長歌です。
この地には古くから真間の手児名伝説があったようですね。
勝鹿は下総国葛飾郡。
「真間(まま)」は千葉県市川市真間のあたり。
真間の手児名(てこな)は真間娘子のことですが、「手児名」は手の労働に従う女のことなので機織りなどに従事した女性だったのでしょうか。
伝説では貧しいながらも非常に美しい女性だったといわれています。
この歌ではそんな伝説の真間の手児名の墓を訪れた山部赤人が、手児名の霊を慰めて詠った長歌となっています。
歌の内容は、「昔居たという男が倭文幡の帯を解き合い、妻屋を立てて愛を交し合ったという葛飾の真間の手児名の墓はここだと聞いたけれど、真木の葉が茂ってしまったのだろうか。松の根のように遠く久しい出来事になってしまったのだろうか。」と、その墓がすでにもうどこにも見られないことを詠っています。
そして、「墓はなくとも、言い伝えだけでも、その名前だけでも、私は忘れることはないよ。」と、手児名の霊を慰めているわけですね。
「倭文幡(しつはた)」は外来の織物に対して、日本古来の製法で作られた織物のこと。
どうも赤人のこの歌では真間の手児名は愛する男と結婚して妻屋に暮らしていたとなっていますが、民間の伝説や万葉集巻九(一八〇七)の高橋連虫麿の歌では複数の男に言い寄られて悩んだ末に海に入水したとされており、この赤人の歌とは相違があるようです。
まあ、どちらにしても伝説の美しい女性として人々に語り継がれていた人物ではあったようですね。
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万葉集巻三
万葉集書籍紹介(参考書籍)
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県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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