万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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死(みまか)りし妻(つま)を悲傷(かなし)びて作れる歌一首并て短歌

白栲(しろたえ)の 袖(そで)さし交(か)へて 靡(なび)き寝(ぬ)る わが黒髪(くろかみ)の ま白髪(しらかみ)に 成りなむ極(きは)み 新世(あらたよ)に 共(とも)に在(あ)らむと 玉の緒(を)の 絶えじい妹(いも)と 結(むす)びてし 言(こと)は果(はた)さず 思へりし 心は遂(と)げず 白栲(しろたへ)の 手本(たもと)を別れ 柔(にき)びにし 家(いへ)ゆも出でて 緑児(みどりご)の 泣くをも置きて 朝霧(あさぎり)の おぼになりつつ 山城(やましろ)の 相楽山(さがらかやま)の 山の際(ま)に 往(ゆ)き過ぎぬれば 言(い)はむすべ せむすべ知らに 吾妹子(わぎもこ)と さ宿(ね)し妻屋(つまや)に 朝(あした)には 出(い)で立ち偲(しの)ひ 夕(ゆふへ)には 入りゐ嘆かひ わき挾(はさ)む 児(こ)の泣くごとに 男(をとこ)じもの 負(お)ひみ抱(むだ)きみ 朝鳥(あさどり)の 音(ね)のみ泣きつつ 恋ふれども 験(しるし)を無みと 言問(ことと)はぬ ものにはあれど 吾妹子(わぎもこ)が 入りにし山を よすかとそ思ふ

巻三(四八一)
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白栲の袖を交わして、寄り添い寝る私の黒髪が真っ白になるときまで、常に新しい気持ちで共に居ようと、玉の緒のように絶えることなく居ようと誓い合った言葉に背いて、心の思いも遂げずに妻は、白栲の腕を解いて慣れ親しんだ家をも出て、緑児の泣くのも置いて、朝霧のようにおぼろになりつつ、山城の国の相楽山の山のあたりに姿を消してしまったので、私は言いようもなくどうしようもなく、妻と共に寝た妻屋で朝には外に出て立ち、夕べには中に入って嘆き、妻を恋しく思ってもどうすることも出来ないので、物も言わないものにはあれども妻が入って行った山をよすがとしてすがっているよ。
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この歌は妻を亡くした高橋朝臣が哀しんで詠んだ挽歌です。
高橋朝臣については詳しいことはなにもわからないようですが、この歌と二首の反歌のあとに記された左注に「右の三首は、七月二十日に高橋朝臣の作れる歌なり。名、字(あざな)いまだ審(つばひ)らかならず。ただ、奉膳(かしはで)の男子(をのこ)といへり。」とあることから、高橋奉膳という人物の子であることが推測できます。

そんな高橋朝臣が亡くなった妻を偲んで詠んだ挽歌ですが、「袖を交わして、寄り添い寝る私の黒髪が真っ白になるときまで、常に新しい気持ちで共に居ようと、玉の緒のように絶えることなく居ようと誓い合った…」と、その生前の妻との思い出を詠っています。

そして「そんな長く共にいようとの誓いに背いて妻は相楽山の山のあたりに姿を消してしまった」と、思いもよらぬ妻の死を嘆いています。
どうやら高橋朝臣の妻は相楽山に葬られたようですね。
「相楽山」は京都府相良郡にある山ですが、このことから高橋朝臣の妻が亡くなったのは恭仁京に京があったころと思われます。

そんな妻の眠る相楽山を眺めながら「物も言わないものにはあれども妻が入って行った山をよすがとしてすがっているよ。」と最後を締めくくったなんとも哀愁の漂う長歌となっています。


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万葉集巻三


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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