万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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久邇京(くにのみやこ)に在りて寧楽(なら)の宅(いへ)に留(とど)まれる坂上大嬢を思ひて、大伴宿禰家持の作れる歌一首

一重(ひとへ)山隔(へな)れるものを月夜(つくよ)よみ門(かど)に出(い)で立ち妹(いも)か待つらむ

巻四(七六五)
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一重の山が隔てているけれど月夜の門に出で立ちあなたはきっと私を待っていることでしょう。
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この歌は久邇京(くにのみやこ)に居た大伴宿禰家持(おほとものすくねやかもち)が、奈良の平城京に残っていた大伴坂上大嬢(おほとものさかのうへのおほをとめ)に贈った一首。
天平一二年(西暦七四〇年)、聖武天皇は突如伊勢行幸へ向かい、そのまま伊勢湾岸を北上し近江国に入ると久邇京(恭仁京)への遷都を宣言します。
この歌はその翌年に詠まれたものと思われ、天皇の遷都に従って久邇京に居た家持が奈良に残っていた坂上大嬢を思って詠んだもの。

「一重の山が隔てているけれど月夜の門に出で立ちあなたはきっと私を待っていることでしょう。」と、月夜に山ひとつ隔てた奈良に居る坂上大嬢を自分が愛しく思い出しているように、大嬢もまた自分の帰って来るのを待っているだろうと想像しての一首ですね。
この歌も家持の大嬢への思いがよく表れている恋歌のように思います。


恭仁京跡。
天平一二年(西暦七四〇年)、藤原広嗣の乱の勃発など相次ぐ事件に動揺した聖武天皇は突如伊勢行幸へ向かい、そのまま伊勢湾岸を北上し近江国に入ると久邇京(恭仁京)への遷都を宣言します。
ところがその造営が終わらないうちに今度は紫香楽宮(しがらきのみや)に移り、さらに難波宮(なにはのみや)に遷都を宣言します。
その後、難波宮からふたたび紫香楽宮(しがらきのみや)に移り、そこでも災いが頻繁に起こったことを理由にまた奈良の平城京へ戻るという、計五年間に五回もの遷都を繰り返しました。



恭仁京大極殿址の碑。
恭仁京の大極殿は平城京の大極殿を移築したそうです。


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万葉集巻四の他の歌はこちらから。
万葉集巻四


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価637円〜〜1101円(税込み参考価格)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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