万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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大伴宿禰家持(おほとものすくねやかもち)の藤原朝臣久須麿(ふじはらのあそみくすまろ)に報(こた)へ贈れる歌三首
春の雨はいや頻(しき)降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも
巻四(七八六)
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春の雨はしきりに降りますが梅の花はまだ咲かないようです。たいそう若いですからね。
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この歌は藤原朝臣久須麿(ふじはらのあそみくすまろ)に、大伴宿禰家持(おほとものすくねやかもち)が贈った三首の歌のうちの一首。
藤原久須麿は藤原仲麿(恵美押勝)の三男で、藤原四兄弟の長男である藤原武智麿(ふじはらのむちまろ)の孫。
題詞に「藤原朝臣久須麿(ふじはらのあそみくすまろ)に報(こた)へ贈れる歌」とあるので、どうやらこの歌は先に藤原久須麿のほうから家持のほうに歌か手紙かを贈ったものへの返歌のようですね。(藤原久須麿が最初に贈った歌などは万葉集には伝わっていません。)
「春の雨はしきりに降りますが梅の花はまだ咲かないようです。たいそう若いですからね。」と、一見、梅の花を詠っただけの歌に詠めますが、実際には久須麿が家持の娘に求婚したことへの返事の歌のようです。
つまりは「降りしきる春の雨」は久須麿からの求婚のことで、「梅の花」は家持の娘。
「春の雨のように暖かなお言葉をしきりに戴きますが、梅の花のような娘の恋心はまだ花を咲かさないようです。たいそう若いですからね。」
こんな感じに訳せば分かりやすいでしょうか。
正直なところ、この時代の求婚は当人同士で決めるものであり、娘への求婚の歌に父親が返事をするというのはおかしな話なのですがこれは家持の娘がまだ幼すぎて歌のやり取りなどできるような年齢ではなかったからだろうと思われます。
(この家持の娘はおそらく巻四(四六二)の歌の時の亡くなった妻の生んだ子なのでしょう)
久須麿のほうもそれを承知していたので、まずは家持のほうに求婚の許しをもらう歌を贈ったのではないでしょうか。
ただ、その場合も、なぜそんな幼い娘に求婚したのかとの疑問が残りますが…
これはおそらく藤原家から持ち掛けられた政略的な結婚だったからではないでしょうか。
この時期の朝廷の勢力争い
藤原家は中臣鎌足(藤原鎌足)を祖として、その子である藤原不比等(ふじはらのふひと)の時代に権勢をふるった新興貴族です。
藤原不比等亡き後もその四人の子である藤原四兄弟(武智麿・房前・宇合・麿)が、対抗勢力である長屋王(ながやのおほきみ)を謀略で処刑し、朝廷の実権をほしいままにしました。
ところが、その後、都に流行った天然痘で藤原四兄弟が相次いで亡くなってしまいます。
藤原四兄弟亡き後の朝廷は皇親派の筆頭である橘諸兄(たちばなのもろえ)が右大臣となり実権を握りました。
一方の藤原家のほうも、藤原四兄弟の武智麿の子であり久須麿の父である藤原仲麿が藤原家の勢力を盛り返そうとしていたようですが、この時期はまだ橘諸兄の権力の前に抑え込まれていたようです。
そんな時期に、藤原家から持ち掛けられたのがこの久須麿と家持の娘の縁談だったわけですね。
家持の家である大伴家は古くからの武門の名門として名をはせた旧来からの貴族で、勢力的には当然、橘諸兄の側でした。
藤原仲麿はそんな武門の名門であり橘諸兄の側の大きな力である大伴家と縁談を結び、自分の側に引き込むことで橘諸兄に対抗しようと考えていたのではないでしょうか。
家持の側としては当然、藤原仲麿の意図は見抜いていたはずですが、この時期は朝廷内にも皇親派の旧来貴族と藤原家の間の対立もそれほど激しくはなく、一つの選択肢としてそれほど悪くはない縁談話であったようにも思えます。
藤原家の勢力は一時期に比べて衰えていたとはいえ、聖武天皇の后である光明皇后は藤原不比等の娘(つまり仲麿の叔母)であり、藤原家と縁戚を結んでおくことはけっして悪い話ではありませんでした。
橘諸兄や他の皇親派への遠慮はあったかも知れませんが、そもそも橘諸兄自身が藤原不比等の娘を妻にしており、この手の皇親派と藤原家の政略的な結婚はこの時期の朝廷内では普通のことだったようです。
また、家持の叔母の大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)はすでに亡くなった藤原四兄弟の藤原麿とかつて恋仲にあり、麿の子の藤原郎女は坂上郎女の生んだ子であるとも云われているのでこの時点ですでに藤原家と大伴家の間に薄いながらも縁戚関係があったわけです。
そういう意味では家持の悩みはむしろ、まだ恋心すらも知らない幼い娘を政略結婚させることへの父親としての愛情面の悩みであったかも知れませんね。
この後、家持と久須麿の歌の贈答が続きます。
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万葉集巻四
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