万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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世間(よのなか)の住(とどま)り難(がた)きを哀(かな)しびたる歌一首并せて序
集ひ易く排(はら)ひ難きは八大の辛苦にして、遂(と)げ難く尽し易きは百年の賞楽(しやうらく)なり。古人の嘆きし所は、今亦これに及(し)けり。所以因(かれよ)りて一章の歌を作りて、二毛の嘆きを撥(はら)ふ。その歌に曰はく
世間(よのなか)の 術(すべ)なきものは 年月は 流るる如し 取り続(つつ)き 追ひ来(く)るものは 百種(ももくさ)に 迫(せ)め寄り来(きた)る 少女(をとめ)らが 少女(をとめ)さびすと 唐玉(からたま)を 手本(たもと)に纏(ま)かし〔或いはこの句あり、いはく、白栲(しろたへ)の 袖(そで)ふりかはし 紅(くれなゐ)の 赤裳裾引き いへるあり〕 同輩児(よちこ)らと 手携(てたづさは)りて 遊びけむ 時の盛りを 留(とど)みかね 過(すぐ)し遣(や)りつれ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 何時(いつ)の間(ま)か 霜(しも)の降りけむ 紅(くれなゐ)の〔一(ある)は云はく、丹(に)の穂(ほ)なす〕 面(おもて)の上に 何処(いづく)ゆか 皺(しわ)が来る(きた)りし〔一(ある)は云はく、常(つね)なりし 笑まひ眉引(まゆび)き 咲く花の 移ろひにけり 世間は かくのみならし〕 大夫(ますらを)の 男子(をとこ)さびすと 剣太刀(つるぎたち) 腰に取り佩(は)き 猟弓(さつゆみ)を 手握(たにぎ)り持て 赤駒に 倭文鞍(しつくら)うち置き はひ乗りて 遊びあるきし 世間(よのなか)や 常(つね)にありける 少女(をとめ)らが さ寝(な)す板戸を 押し開き い辿(たど)りよりて 真玉手(またまで)の 玉手さし交(か)へ さ寝(ね)し夜(よ)の 幾許(いくだ)もあらねば 手束杖(たつかづゑ) 腰にたがねて か行けば 人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎(にく)まえ 老男(およしを)は かくのみならし たまきはる 命惜しけど せむ術(すべ)もなし
巻五(八〇四)
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世の中の術なきものは、年月の流れるごときことだ。つぎつぎと続いて追ってくるものは、老や病はあれこれと形を変えて迫り寄って来る。少女たちが少女らしく唐玉を手に纏い〔或はこの句は、曰く、白栲の袖を振り交し紅の赤裳の裾を引いて、という本あり〕、同じ年頃の子らと手を携えて遊んだであろう盛りの時を、留めることが出来ずに過ごしやってしまったので、蜷の腸のように黒々とした髪には、いつの間にか霜が降りてしまった。紅の〔一は云はく、丹の色も映える〕顔の面にはどこから皺が来たのだろう。〔一は云はく、いつも絶えなかった笑いや引き眉も、咲く花のように移ろい変わってしまった。世の中とはこのようなものらしい〕、立派な男子が男子らしく剣太刀を腰に付け、弓矢を手に握って、赤馬に倭文の鞍を置いて這い乗り、遊び歩いた世の中はいつまで続いただろうか。少女らが寝ている家の戸を押し開き、辿り寄っては真玉のような美しい手を交して寝た夜もどれほどもなく、やがては手に握った杖を腰に当てがって、あちらに行っては人に嫌われ、こちらに行っては人に憎まれ、年老いた男はこのようでしかないらしい。魂の極まる命の過行くのは惜しいことだけれども、どうする術もないことだ。
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この歌は山上憶良(やまのうへのおくら)の作で、世の中の無常を嘆いた長歌となっています。
序の部分の訳は「集まりやすく排い難いものは八つの大きな辛苦である。成し遂げがたく終わり易いものは人生の楽しみである。昔の人の嘆いたところは今もまた同じだ。それゆえに一章の歌を作って、老の嘆きを排おうと思う。その歌に曰はく…」といった感じでしょうか。
「八つの大きな辛苦」とは、仏典にある「生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五盛陰苦」のこと。
つまりは、人生の無常を歌に詠むことで、少しでもその嘆きを慰めようとした一首なわけですね。
歌の冒頭ではまず「世の中の術なきものは、年月の流れるごときことだ。」と、止めることの出来ない年月の流れを詠っています。
そして「少女たちの蜷(タニシ)の腸のように黒々とした髪もいつしか霜が降ったように白くなり、顔にはどこからか皺がやって来た」と、時間の流れの無常を具体的に詠い、「立派な男子が剣太刀や弓矢を手に握って野山での猟りに歩いた世の中はいつまで続いただろうか。」と、その人生の盛りの短さを嘆いています。
さらには「少女らが寝ている家の戸を押し開き、辿り寄っては真玉のような美しい手を交して寝た夜もどれほどもなく…」と、共に愛を交し合う時間の短さを哀しみ、「やがては手に握った杖を腰に当てがって、あちらに行っては人に嫌われ、こちらに行っては人に憎まれ、年老いた男はこのようでしかないらしい。」と、老いた身の哀しさをこれもまた具体的な言葉で表現しています。
「魂の極まる命の過行くのは惜しいことだけれども、どうする術もないことだ。」との最期の締めの言葉が、なんとも空しく響いてくる長歌ですよね。
序には「一章の歌を作って、老の嘆きを排おうと思う。」とありますが、おそらくは憶良が言いたかったことは「老は誰しも逃れられないことなのだから諦めて受け入れよう」ということなのでしょうね。
なんだか救いようのない内容な気もしますが、それゆえにまた今という時の大切さを読み手に感じさせてくれる一首でもあります。
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万葉集巻五
万葉集書籍紹介(参考書籍)
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県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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