万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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筑前国怡土郡深江(いとのこほりふかえ)の村子負(こふ)の原に、海に臨める丘の上に、二つの石あり。大きなるは長さ一尺二寸六分、囲(めぐり)一尺八寸六分、重さ十八斤(こん)五両、少(すこ)しきは長さ一尺一寸、囲一尺八寸、重さ十六斤十両、並皆(とも)に楕円にして、状(かたち)は鶏子(とりのこ)の如し。その美好(うるは)しきは、論(あげつら)ふに勝(た)ふべからず。所謂(いはゆる)径尺の璧(たま)是なり。〔或(ある)は云はく、この二つの石は肥前国彼杵郡平敷(ひのみちのくにそのきのこほりひらしき)の石なり、占(うら)に当たりて取れりといふ〕深江(ふかえ)の駅家(うまや)を去ること二十許里(さとばかり)にして、路の頭(ほとり)に近く在り。公私の往来に、馬より下りて跪拝(きはい)せずといふことなし。古老相伝へて曰はく「往者息長足日女命(いにしへおきながたらしひめのみこと)、新羅(しらぎ)の国を征討(ことむ)けたまひし時に、こ※1の両(ふた)つの石を用(も)ちて、御袖(みそで)の中に挿着(さしはさ)みて、鎮懐(しづめ)と為(し)たまひき。〔実(まこと)はこれ御裳(みも)の中なり〕所以(かれ)、行く人、この石を敬拝す」といへり。及(すなは)ち歌を作りて曰はく

※1:「こ」は原文では「玄」+「玄」。

懸(か)けまくは あやに畏(かしこ)し 足日女(たらしひめ) 神の命(みこと) 韓国(からくに)を 向(む)け平(たひら)げて 御心(みこころ)を 鎮(しづ)め給ふと い取らして 斎(いは)ひ給ひし 真珠(またま)なす 二つの石を 世の人に 示し給ひて 万代(よろづよ)に 言ひ継(つ)ぐがねと 海(わた)の底 沖(おき)つ深江(ふかえ)の 海上(うなかみ)の 子負(こふ)の原に み手づから 置かし給ひて 神(かむ)ながら 神(かむ)さび坐(いま)す 奇魂(くしみたま) 今の現(をつつ)に 尊きろかむ

巻五(八一三)
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口にするのも恐れ多いことだ。神功皇后が新羅の国を平定なされて、お心をお鎮めになろうとお取りになり、おまつりになった美しい二つの石を、世の人にお示しになって末永く語り継ぐようにと、海の底のように奥深い深江の海上の、子負の原に御手自らお置きになって、神そのものとして神々しくあられる不思議な御霊魂は、今の世にも尊いことだなあ。
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この歌は筑前国司として筑前国に赴任していた山上憶良(やまのうへのおくら)が、その地に伝わる二つの石の伝承を伝え聞いて詠んだ長歌です。
憶良にこの伝承を伝えた人物は那珂(なかの)郡の伊知(いち)の郷蓑島(さとみのしま)の人、建部(たけべ)牛麿とのこと。

伝承によると、筑前国怡土郡深江(いとのこほりふかえ)の村子負(こふ)の原の海に臨める丘の上に、二つの石があったそうです。
大きさは、大きなほうの石が長さ一尺二寸六分、囲(めぐり)一尺八寸六分、重さ十八斤(こん)五両とのこと。
今の寸法に直すなら、長さ約三八センチ、周り約五六センチ、重さ一一キロと言ったところでしょうか。

小さいほうの石は長さ一尺一寸、囲一尺八寸、重さ約十六斤十両。
こちらも今の寸法で、長さ約三五センチ、周り約五四センチ、重さ約一〇キロと言ったところ。

この石は肥前国彼杵郡平敷(ひのみちのくにそのきのこほりひらしき)にあった石で、占いの神託によって後にこの場所に奉られたそうです。
この石の前を通る時は、皆、馬を降りて跪いて拝むのだといいます。

村の老人が言うには「この石はかつて神功皇后が新羅の国を平定なさったときに、袖の中にこの二つの石を入れて御心を鎮められたもので、道行く人は皆跪いて拝むのです。」とのこと。

長歌の内容もこの伝承をほぼそのまま詠ったもので、「神そのものとして神々しくあられる不思議な御霊魂は、今の世にも尊いことだなあ。」と、今も変わらず神々しく存在している石を讃えて締めくくっています。

この神功皇后というのは仲哀天皇の皇后で、日本書紀によると仲哀天皇亡き後、神の神託を受けて新羅出兵を行い朝鮮半島の三国(新羅、百済、高句麗)を支配下に置いたとされています。
まあ、この新羅征伐(三韓征伐)については史実かどうかかなり疑わしく、神功皇后についても実在の人物でない可能性もあるのですが、ここではそのあたりは深く検証しないことにします^^;

この新羅征伐の伝説によると、神功皇后は新羅へ渡ったときにお腹に子供を宿しており、新羅征伐が終わるまでの間お腹に石を当てて冷やして子供が生まれるのを遅らせたとのことです。
そして新羅を支配下に置いたのち大和へ帰って無事、皇子(のちの応神天皇)を出産したと言われています。
この時、お腹にあてて冷やした石がこの歌で歌われている二つの石なわけですね。
(まあ、重さ十キロほどもある石を二つも持ち歩くなど普通に考えれば無理のある話ですが、そこも伝説ということで深くは追及しないでおきましょう^^;)

筑前国司として奈良の都から赴任してきていた山上憶良が、そんな由緒ある石が筑前の国にあるとの伝承を聞いて興味を持って詠んだのがこの歌ですが、地方の伝承を詠いながらも憶良にしては珍しい朝廷の臣らしい雄大さのある長歌に仕上がっていますね。

この石は寛文年間までは存在していたらしいのですが、その後、盗難にあって行方不明になってしまったそうです(なんと罰当たりな^^;)

ちなみに、福岡県糸島市二丈町の鎮懐石八幡宮にはこの石の内のひとつと言われる石がご神体として祀られていますが、こちらは後の世に六郎という里人が拾って帰った美しい石を里の古老から神功皇后の伝説の石に違いないと教えられて奉ったものだそうです。


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万葉集巻五の他の歌はこちらから。
万葉集巻五


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県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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