万葉集入門
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現存する日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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冬十一年に、左大弁葛城王等(さだいべんかづらきのおほきみたち)に姓橘氏(かばねたちばなのうぢ)を賜ひし時の御製歌(おほみうた)一首

橘は実(み)さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)の樹

右は、冬十一月九日に、従三位葛城王と従四位上佐為王(さゐのおほきみ)等と、皇族の高名を辞して外家(ぐわいか)の橘の姓を賜ること已(すで)に訖(をは)りぬ。時に太上天皇(おほきすめらみこと)、皇后(おほきさき)、共に皇后宮にありて肆宴(とよのあかり)を為し、即ち橘を賀(ほ)く歌を御製(つくりたま)ひ、并(あは)て御酒(みき)を宿禰等に賜へり。或は云はく「この歌一首は太上天皇の御歌なり。ただ天皇皇后の御歌各一首あり。」といへり。その歌遺落(ゐらく)して探り求むることを得ず。今案内を検(かむがふ)るに、「八年十一月に九日に葛城王等、橘宿禰の姓を願ひて表(へう)を上(たてまつ)る。十七日を以(も)ちて、表の乞(ねがひ)に依りて、橘宿禰を賜ふ」といへり

巻六(一〇〇九)
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橘は実までも花までもその葉までも、枝に霜が降りてもますます常緑の樹だ
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この歌は天平八年十一月に葛城王(かづらぎのおほきみ)や佐為王(さゐのおほきみ)らが橘(たちばな)の姓を賜って皇族から臣下に下ったときに賜られた御製歌で、非常に有名な一首のひとつです。
題詞によるなら聖武天皇の御製歌ということになりますが、左注では元正太上天皇の作ということになります。
まあ、ここでは一応、聖武天皇の作として鑑賞しておくことにします。
(おなじく、左注によれば光明皇后の詠まれた歌もあったようですが、こちらは現在には伝わっていないようですね。)

葛城王は敏達天皇の子孫で本来は皇族でしたが、母親の姓である「橘」を受け継ぐことを願い出て許され、以後は臣下に下って橘諸兄(たちばなのもろえ)と称しました。
この時、佐為王(さゐのおほきみ)や、葛城王の子である奈良麿たちもみな橘姓になったようです。
この歌はそんな橘諸兄たちに天皇が贈った祝いの御製歌です。

「橘は実までも花までもその葉までも、枝に霜が降りてもますます常緑の樹だ」とは、まさに「橘」という新しい姓を賜った者たちを祝う目出度い一首ですよね。
「橘(たちばな)」は現在でいう蜜柑類の総称のことで、この時代には常世の樹として珍重されていたようです。

この後、橘諸兄は左大臣に累進し、藤原四兄弟が天然痘で相次いで亡くなった後の朝廷の政治を主導していくことになります。
そんな一族の繁栄を予見するような力強さを感じさせてくれる歌のようにも感じます。


橘は現在でいう蜜柑類の総称のこと。



京都府綴喜郡井手町にある六角井戸。
井手町は橘諸兄が玉井頓宮(仮の宮)を置いた土地であり、この井戸のあたりに玉井頓宮があったそうです。



六角井戸の解説碑。
玉井頓宮には聖武天皇も何度か行幸されたそうです。


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万葉集巻六


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万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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