万葉集入門
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現存する日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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十五年癸未(きび)の秋八月十六日に、内舎人(うどねり)大伴宿禰家持の、久邇(くに)の京(みやこ)を讃(ほ)めて作れる歌一首

今造(つく)る久邇(くに)の都は山川の清(さや)けき見ればうべ知らすらし

巻六(一〇三七)
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今造っている久邇の京は山や川の清いことをみると、まことに京とするのにもっともな場所だ
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この歌は大伴宿禰家持(おほとものすくねやかもち)が、奈良の平城京から遷都されることになった山城(京都府)の久邇京を褒め讃え詠んだ一首です。
題詞によるとこの歌が詠まれたのは天平一五年八月とあり、この時、大伴家持は聖武天皇の行幸に従って近江(滋賀)の紫香楽宮にいたようですね。
そんな紫香楽宮から、いま山城の国で造営中の久邇京を讃えて詠んだ歌ですが「今造っている久邇の京は山や川の清いことをみると、まことに京とするのにもっともな場所だ」と、山城国の山や川の美しさを讃えて京とするのにふさわしい場所であると詠っています。

この歌が詠まれた背景についてはあまり詳しいことはわかりませんが、あるいは聖武天皇を前にした宴の席などで披露した献上歌だったのでしょうか。
久邇京の造営には家持も駆り出されており、そんな自らもかかわって新しく造っている京を褒め讃えたなんとも目出度い一首ですよね。

ただ、この時期の聖武天皇は大宰府で藤原広嗣が反乱を起こしたことなどに動揺してかなり精神的に不安定になっていたようで、家持がこの歌を詠んだ翌年にはまだ完成もしていない久邇京から突如として難波宮への遷都を宣言してしまいます。
この歌を詠んだ時の家持がそんな聖武天皇の御心を察していたのかどうかはわかりませんが、後の歴史を知って読むと久邇の地になんとか京を留めたいとの願いのこもった一首とも読めて面白いですね。


京都府木津川市の恭仁大橋北詰にあるこの歌の歌碑。



添え碑。



京都府木津川市にある恭仁京跡。

天平十二(七四〇)年、聖武天皇(しやうむてんわう)は突如として平城京を離れ、伊勢へ向かいます。
そして伊勢からそのまま北上して近江国に入るとそこで山城国の久邇への遷都を宣言します。
さらに四年後の天平十六(七四四)年にはまだ完成も見ていない久邇京から難波宮へ遷都し、その直後には今度は紫香楽宮へ移りそこを新都とする宣言をします。
そして紫香楽宮でも地震や火事などが頻発したことに不安を感じ、結局はもとの平城京へと戻ったのでした。

家持が詠んだこの歌は、そんな五年間にわたる聖武天皇の放浪の日々の中に咲いた一輪のあだ花だったのでしょうか。


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万葉集巻六


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万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
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