万葉集入門
万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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大津皇子(おほつのみこ)の被死(みまか)らしめらえし時に、磐余(いはれ)の池の般(つつみ)にして涕(なみだ)を流して作りませる御歌一首

ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨(かも)を今日(けふ)のみ見てや雲隠(がく)りなむ

巻三(四一六)
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(百に伝う)磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日を最後に、僕は雲の彼方に去って行くのか
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この歌は謀反の罪で処刑されることになった大津皇子が、磐余の池に鳴く鴨を見て読んだ一首と云われています。
大津皇子が処刑されるに至った経緯は、姉の大伯皇女の歌などを通じてすでに何度も語ってきましたが、その辞世でもあるこの歌には、その無念と失意の念が痛いほどによく表れていますね。

大津皇子が処刑された場所は自宅のあった訳語田(おさだ)の宮だったと云われ、この歌はそこへ移送される途中に磐余の池の鴨を見て詠んだのでしょう。


奈良県桜井市戒重の春日神社(訳語田幸玉宮伝承地)。

大津皇子の宮は磐余の訳語田(おさだ)にあり、ここで最後を迎えたと伝えられています。
訳語田の宮は現在の奈良県桜井市戒重(かいじゅう)にある訳語田幸玉(おさだのさきたま)宮伝承地のそばだったのではと云われています。



春日神社にある訳語田幸玉宮伝承地の解説。
戒重の春日神社は、大泊皇女や大津皇子の歌碑がある吉備春日神社の北北東、広い道路沿いの目立つ場所に鎮座しています。

大津皇子が処刑されたとき、妃の山辺皇女(やまのへのひめみこ)は髪を振り乱し裸足で駆けつけて殉死し、それを見た人たちは皆すすり泣いたと日本書紀に伝えられています。



磐余は、現代にははっきりとした地名を残していませんが、橿原市東池尻町から桜井市池之内にかけての付近がその有力地。
磐余の池もすでになくなっていますが、このあたりにあったものと推測されます。



橿原市東池尻町の御厨子(みずし)観音で有名な妙法寺の前に大津皇子の辞世の歌であるこの歌の歌碑が立っています。



妙法寺の東側の地からは宮跡や池の堤の跡が発掘され、ここが磐余池であった可能性がかなり高まりました。



妙法寺の東の池の堤跡。


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万葉集巻三


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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