万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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ひさかたの天(あめ)見るごとく仰ぎ見し皇子(みこ)の御門(みかど)の荒れまく惜(を)しも 

巻二(一六八)
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はるか天を見るように仰ぎ見た皇子の御門の荒れてゆくだろうことが惜しくて仕方がないよう
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この歌は先の巻二(一六七)の草壁皇子の死を悼んで詠まれた柿本人麿の長歌につけられた二首の反歌のうちのひとつです。
おそらくは柿本人麿自身の作でしょう。
天を見るように仰ぎ見たとは少し大げさな表現に思われるかも知れませんが、日並皇子尊(ひなめしのみこのみこと)とも呼ばれた草壁皇子の住む宮を讃える言葉として使われています。
草壁の皇子の住まいは島の宮と呼ばれ、現在の明日香村の石舞台のすぐ前あたりだったと考えられています。

この歌では草壁皇子の生存中は仕える舎人たちが行き交い活気のあったその島の宮が、皇子が亡くなってからは人影もまばらになりこのまま荒れてゆくだろうことが惜しいと嘆いています。
人麿たち舎人にとって、草壁皇子がどれほど大きな存在であったかがうかがわれますね。



島庄遺跡(島の宮)の解説。
お土産所「あすか野」の道を挟んだ前にあります。



草壁皇子の宮殿のあった島の宮は、いまの石舞台のそば、お土産所「あすか野」の周辺ではないかといわれています。


「あすか野」の裏(北側)には掘立柱建物跡も発見されました。
(現在は埋め戻されて畑になっています。)


石舞台前、「あすか野」の西隣からは、島の宮の「匂(まがり)の池」ではないかといわれる池跡も発見されました。
(こちらも現在は埋めなおされて田圃になっています。)


ただし、島の宮については他にも、橘寺の東側から出土した遺跡がその場所であるという説や、もしくは島の宮とは石舞台のある島庄から橘寺の前まで広がっていた広大な宮殿であったのではないかとの説もあるようです。


橘寺の前から東側に広がる田園地帯。
ここから出土した遺跡こそが島の宮ではないかとの説も。


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万葉集巻二の他の歌はこちらから。
万葉集巻二


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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