万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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ひさかたの天知(あめし)らしぬる君ゆえに日月(ひつき)も知らに恋ひ渡るかも

巻二(二〇〇)
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遥か彼方の天をお治めになっている君だから、いつの日果てるとも知らずに恋いつづけることだ。
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この歌は先の巻二(一九九)の長歌につけられた高市皇子(たけちのみこ)を偲ぶ反歌二首のうちのひとつです。
この反歌も柿本朝臣人麿の作。
いまは天の国を治めているだろう亡くなった高市皇子に、地上にいる自分は会うことも出来ずに恋つづけるしかないと嘆いている内容です。
こう詠われるとほんとうに天の国をいまもなお高市皇子が治めているような不思議な感覚がしますね。

万葉集巻二に収録されている挽歌は古い時代の作のものは死者の復活を願うような呪術的なものが多いのですが、新しい時代の歌になってくると徐々にその呪術性が薄れ純粋に死者への哀悼の意を示す内容のものが増えてきます。
人麿の詠んだこの挽歌も高市皇子の死をまるで二度と会えなくなった肉親を慕うかのように詠っていますが、あるいはこの二人には特別に深い面識があったのかも知れませんね。

高市皇子は天武天皇の長男でしたが、母親の身分が低かったために皇位継承権は弟である草壁皇子や大津皇子に次ぐ三番目の地位にあり天皇にはなれませんでした。
そんな地位にあったためか、もしくは皇位争いで大津皇子が謀殺されるのを目の当たりに見たためか…
高市皇子は天皇の位を自ら望むようなことはなかったように思われ、持統天皇の統治下では一歩下がり太政大臣として政治面で朝廷を取り仕切る活躍をしました。
皇位争いに翻弄された草壁皇子や大津皇子、謀略を恐れ目立たぬ生き方を貫いた志貴皇子ともまた違った、皇族の生き方がそこにあったように思います。


奈良県橿原市四部町の鷺楠神社にこの歌の歌碑があります。



奈良県北葛城郡広陵町にある新木山古墳。
こちらが高市皇子の墓だという説も…



三吉石塚古墳
新木山古墳の西隣にある三吉石塚古墳。こちらも非常に立派な古墳で被葬者は不明ですが、もし新木山古墳が高市皇子の墓だとするとこの古墳も高市皇子に関係する人物のお墓ということになるでしょうか?
新木山古墳は広陵町立図書館の少し南に位置しています。


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万葉集巻二の他の歌はこちらから。
万葉集巻二


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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