万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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難波天皇(なにはのすめらみこと)の妹(いろも)の大和(やまと)に在(いま)す皇兄(すめいろえ)に奏上(たてまつ)れる御歌一首
一日(ひとひ)こそ人も待ちよき長き日(け)をかく待たゆるはありかつましじ
巻四(四八四)
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一日ぐらいなら誰だってまてましょう、でも長い日をこんなにも待たされるのはとても耐えられません。
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この歌は万葉集巻四の冒頭に置かれた一首。
詞書きにある難波天皇は仁徳天皇。
この詞書きにあるような物語は現在に伝わっていませんが、おそらくは仁徳天皇と磐姫皇后の物語をもとにしていると思われ、この歌の作者も磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)とされています。
(正確には、歌物語として多くの人々の間で受け継がれてきた創作和歌だと思われますが…)
巻四は全巻を相聞歌(恋歌)で占められています。
おなじく相聞歌を収めた巻二の前半部分の冒頭と同じく、古事記にある仁徳天皇と磐姫皇后の夫婦の恋物語をもとにしたこの歌が巻四の冒頭にも置かれていることからも、当時の人々がいかに磐姫皇后が夫である仁徳天皇を想った恋心を恋愛のあるべき形の規範としていたかがうかがわれますね。
仁徳天皇と磐姫皇后の物語については巻二(八十五)などですでに詳しく語っていますが、古事記の記述によると磐姫皇后が新嘗祭に必要な「みつながはし」の葉をとりに紀州へ出掛けているときに、夫の仁徳天皇が八田の若郎女という女性を宮廷に入れて寵愛したといいます。
それを知った磐姫皇后は激怒し、難波の宮廷には帰らず、舟で川を遡り山城の国の豪族の家に篭ってしまいました。
仁徳天皇は磐姫皇后の怒りをおさめるために自ら出向き皇后の心をおさめる歌を詠いましたが、磐姫皇后の怒りはおさまらずけっきょく磐姫は難波へは戻らなかったのだとも伝説は伝えています。
巻二(八十五)の歌のときにも解説しましたが、一見すると嫉妬深い心の狭い女性のようにも取れる磐姫皇后…
しかし、この時代では嫉妬は相手への深い愛情の証として非常に尊ばれていたのです。
相聞歌を収めた巻二の冒頭に継いで、この巻四の冒頭にも置かれた磐姫皇后の相聞歌のように、人を想うこころとはかくありたい、かくあってほしいと願った当時の人々の恋愛観を念頭に置いて、みなさんもぜひこれから先に収録されている千年以上も前の人々の恋の歌を鑑賞してみてください。
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万葉集巻四
万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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