万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)の大唐(もろこし)にありし時に、本郷(くに)を憶(おも)ひて作れる歌

いざ子ども早く日本(やまと)へ大伴(おほとも)の御津(みつ)の浜松待ち恋ひぬらむ

巻一(六十三)
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さあみんな、早く大和へ帰ろう。大伴の御津の浜松も「まつ」の名のごとく待ちわびているだろうから。
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この歌は遣唐使として大陸に渡っていた山上憶良(やまのうへおくら)が、帰国を前にした宴の席で詠んだものと言われています。
「御津」は難波の港のことで、遣唐使船はここから出向しました。
「大伴」とあるのは、御津の港のある地域一帯が大伴氏の領地であったことから。
憶良が遣唐使として唐に渡ったのは粟田真人が派遣された702年の時のことで、先の巻一(六十三)でも紹介した三野連岡麿も一緒でした。

この時代の唐は遠く中央アジア、ベトナムまでその勢力を広げ、唐の都「長安」はインドや東ヨーロッパの文化が集まる最先端の国際都市のひとつでした。
遣唐使はそんな唐の最先端の技術や文化を学ぶために送られた使節団(形式は日本から絹や水晶などを献上する朝貢)で、この時の遣唐使は二年間を唐で過ごし多くの技術や文化を学んで帰国します。

この歌ではそんな二年の唐での暮らしを経て懐かしき故郷に帰国できることになった喜びが素直な形で表現されていますね。
同時に、「御津の浜松」も待ってくれているだろうと、御津の土地の精霊の加護のあるだろうことも詠い帰国の航海の不安を打ち消す内容にもなっているように思います。
そんなご加護もあってか、無事に日本に帰国した一行。

山上憶良はもともとはそれほど高い身分の出ではなかったようですが、帰国後は唐で学んだ知識を活かして官人として活躍し最後は筑前の守などの国主の地位まで出世しました。


平城宮跡にある平城京歴史館では遣唐使について映像などで学ぶことが出来ます。



遣唐使船の船上。
平城京歴史館前には復元された遣唐使船があり、平城京歴史館の中から船上に乗ることも出来ます。
憶良たちもこんな感じの船に揺られて大陸を横断したのでしょう。


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万葉集巻一


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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