万葉集入門
万葉集入門
現存する日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

スポンサード リンク


決(さだ)めて曰はく

橘の照れる長屋にわが率寝(ゐね)し童女丱(うなゐはなり)に髪上げつらむか

巻十六(三八二三)
-----------------------------------------------
橘の実の輝く長屋に私が連れて来て寝た少女は、今ごろはもう童女髪に髪上げしただろうかなあ
-----------------------------------------------

この歌は、先の巻十六(三八二二)の歌の左注にあった椎野連長年(しひのむらじながとし)の指摘を受けて、巻十六(三八二二)の歌を詠み変えたものです。
題詞に「決(さだ)めて曰はく」とあるのは、正しいと定めてこう詠い改めたとの意味。

先の巻十六(三八二二)の歌では、「橘の寺の長屋にわが率寝し童女放髪は髪上げつらむか」と、橘寺の長屋に僧侶が少女を連れ込んで一緒に寝た思い出が詠われていました。

それに対して、椎野連長年は、寺の長屋は俗人の寝るところではなく成人したばかりの女を『放髪丱(うなゐはなり)』と言うなら四句目に『放髪丱』と言っているのだから、結句で重ねて成人したことを示す言葉を言う必要がない」と批判していました。
その指摘を受けてこの歌では、「橘の寺の長屋」を「橘の照れる長屋」と詠み変え、「童女放髪(うなゐはなり)は」を「『放髪丱(うなゐはなり)』に」とすることでつじつまを合わせています。
つまりは、「僧侶が寺の長屋に少女を連れ込んだ」のではなく、「俗人の男が橘の実の成る長屋に童女を連れ込んだ」意味に、そして「少女は髪を上げて人妻になっただろうか」ではなく、「少女は髪をあげまにしただろうか」との意味に変えたわけですね。
年頃の女性が髪を結い上げるのは結婚した証でしたが、「放髪丱(うなゐはなり)」は単に童女のあげまきの髪形を意味します。

この改変を行った人物は当然、椎野連長年の側にいた人物であったはずですが、あるいはこれは椎野連長年自身が詠み変えた歌なのかも知れませんね。
ただ、この改変は完全に改悪で、伝誦歌としての巻十六(三八二二)の歌が持っていた人間臭とも言える恋歌の魅力を完全に失ってしまっているように思います。

みなさんも、この歌は寺の長屋で行われた僧侶と少女の色恋であったからこそ人々に歌い継がれる魅力を持っていたとは思いませんか?
椎野連長年の指摘はまさに野暮も野暮。

現代と違って著作権などという概念のなかった万葉集の時代の古い伝誦歌は、このように伝誦の過程でその土地や歌い手の立場に合わせてさまざまに語句や意味を変えて伝わってきました。
その過程では、この歌のように魅力を削ぐ改悪が行われることもあったのでしょうね。

それでもこの巻十六(三八二三)の歌と同時に、もとの巻十六(三八二二)の歌が残っているというのは、人々の間にほんとうに良いものを見分ける力があったからなのでしょう。


橘(たちばな)の実。
橘は蜜柑類のことです。



橘寺(奈良県明日香村)。



橘寺にある二面石。



二面石は右側が善面、左側が悪面を現し、人間の心の持ち方を表現しているとも云われています。
どこか、修行の場である寺の長屋で色恋を行ったの巻十六(三八二二)の歌の、複雑な人間の心をも暗示しているようで面白いですよね。


スポンサード リンク


関連記事
万葉集巻十六の他の歌はこちらから。
万葉集巻十六


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

万葉集入門(トップページ)へ戻る

当サイトはリンクフリーです、どうぞご自由に。
Copyright(c) 2018 Yoshihiro Kuromichi (plabotnoitanji@yahoo.co.jp)


スポンサード リンク


欲しいと思ったらすぐ買える!楽天市場は24時間営業中

Amazon.co.jp - 通販