万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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長皇子の御歌
あられ打つあられ松原住吉(すみのへ)の弟日娘(おとひをとめ)と見れど飽(あ)かぬかも
巻一(六五)
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あられの降るあられ松原を住吉の弟日娘といっしょに見れば飽きないものだなあ。
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この歌は、あられ松原を訪れた長皇子(ながのみこ)の詠んだ一首。
長皇子は天武天皇の皇子で、弓削皇子(ゆみげのみこ)の同母兄弟の兄。
「あられ松原」は現在の大阪府住吉区安立町との説が有力です。
おそらくは先の志貴皇子(しきのみこ)が詠んだ巻一(六四)の一首とおなじく、文武天皇が難波宮に行幸された時に従駕したときのものなのでしょう。
「弟日娘(おとひをとめ)」は住吉にいた遊女でしょうか。
この時代の遊女は地方を訪れた官人などをもてなすために歌などの教養にも優れた女性が多かったようです。
そんな弟日娘とともに見る「あられの降るあられ松原はいつまで見ていても飽きないものだなあ」との、この歌も土地の神の呪いを避けご加護を得ようとした土地讃めの一首ですね。
(ちなみに「あられ降る」は「あられ松原」という地名を引き出すための修飾の序詞で、実際に目の前にあられが降っているわけではありません。)
このように、万葉集の時代の人々は旅先でその土地や道々の神々が住むとされる場所を通ったときには、必ず幣をささげたり土地賞めの鎮魂歌を詠ったりして神々に祈りを捧げて通りました。
大阪市立安立小学校の校門前にある霰松原公園。
南海本線住ノ江駅の東へ徒歩数分の場所にあります。
霰松原公園にある霰松原神社。
(「金高大明神」などと三つ並んだ祠の真ん中が「霰松原神」の祠。)
霰松原神社にあるこの歌の歌碑。
霰松原の由来。
現在ではこのあたりには松の一本も見当たりませんが、浜寺公園や高石神社周辺などのようにここにもかつては美しい松原が存在したそうです。
松原がなくなったのは残念ではありますが、このような公園としてその面影だけでも偲べるのは救いでしょうか。
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万葉集巻一
万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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