万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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古事記に曰はく「軽皇子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に奸(たは)く。故(かれ)、その太子を伊予の湯に流す。この時、衣通王(そとほしのおほきみ)、恋慕に堪へずして追ひ往く時の歌に曰はく」
君が行き日(け)長くなりぬ山たづの迎へを往かむ待つには待たじ
〔ここに山たづと云ふは、今の造木(みやつこぎ)なり〕
といへり。右の一首の歌は古事記と類聚歌林と説(い)ふ所同じからず。歌の主(ぬし)もまた異なれり。因りて日本紀を検(かむが)ふるに曰はく「難波高津宮に天の下知らしめしし大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)の二十二年春正月、天皇、皇后に語りて『八田皇女(やたのひめみこ)を納(めしい)れて将に妃となさむとす』といへり。時に皇后聴(ゆる)さず。ここに天皇歌よみして皇后に乞ひたまひしく云々。三十年秋九月乙卯(いつばう)の朔(つきたち)の乙丑(いつちう)、皇后紀伊国(きのくに)に游行(ゆぎやう)して熊野の岬に到りて其処(そこ)の御綱葉(みつながしは)を取りて還りたまひき。ここに天皇、皇后の在(おは)しまさざるを伺ひて八田皇女を娶(ま)きて宮の中に納れたまひき。時に皇后、難波の済(わたり)に到りて、天皇の八田皇女を合(め)しつと聞かして大(いた)くこれを恨みたまひ云々。」といへり。また曰はく「遠飛鳥宮(とほつあすかのみや)に天の下知らしめしし雄朝嬬稚子宿禰(おあさづまわくごのすくね)天皇の二十三年春三月甲午(かふご)の朔(つきたち)の庚子(かうし)、木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)を太子(ひつぎのみこ)としたまひき。容姿佳麗(かほきらきら)しく、見る者自ら感(め)でき。同母妹軽太娘皇女(いろもかるのおほいらつめのひめみこ)もまた艶妙(いみじ)。云々。遂に竊(ひそ)かに通(たす)け、うなはち悒(おぼほ)しき懐(こころ)少しく息(や)みぬ。二十四年夏六月、御羮(みあつも)の汁凝(しるこ)りて氷(ひ)となりき。天皇異(あや)しびて、その所由(ゆゑ)を卜(うらな)へしむるに、卜者(うらなへ)の曰(まを)さく『内の乱あり。けだし親々相奸(しんしんあひたは)けたるか云々。』といへり。よりて太娘皇女(おほいらつめのひめみこ)を伊予に移す」といへり。今案(かむが)ふるに二代二時にこの歌を見ず。
巻二(九〇)
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あなたが旅立ってからずいぶん長い日が経ってしまった。あの山道をたずねて迎えに行こうかな。もう待ってなどいられない。〔ここで山たづというのは、今の造木のことである。〕
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この歌は万葉集巻二の巻頭を飾った巻二(八五)の磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)の歌とほぼ同じ内容ですが、題詞が山上憶良の類聚歌林が伝える伝承をもとにした巻二(八五)の歌と異なっており、こちらでは古事記の伝承をもとにした衣通王(そとほしのおほきみ)の詠んだ歌として紹介されています。
歌の後の左注で日本書紀をもとに検証されているところでは、巻二(八五)の歌の伝承と同じく十六代天皇である仁徳天皇が磐姫皇后の留守中に八田皇女を妻として迎え入れたために磐姫皇后が恨み嫉妬した話が伝わっています。
それと同時に、この巻二(九〇)の歌の題詞にもある軽皇子(かるのひつぎのみこ)と軽太郎女(かるのおほいらつめ)の物語として、十九代天皇である雄朝嬬稚子宿禰(允恭天皇)の時代に木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)を太子(ひつぎのみこ)としたそうです。
軽皇子は容姿佳麗(かほきらきら)で非常に美男子であったと伝えられています。
また皇子の同母妹に軽太娘皇女(いろもかるのおほいらつめのひめみこ)という妹がおり、この皇子もまた非常に美しい皇女だったようです。
そして兄弟でありながら軽太娘皇女に恋をした軽皇子は、男女の関係を結んでしまいました。
そんなある日、天皇のお食事中に食膳の汁が夏だというのに凍ってしまうという奇妙な出来事がありました。
天皇は怪しんで占い師に占わせたところ『内の乱あり。おそらく肉親同士で男女の関係を結んだのでしょう。』と占い師は言いました。
こうして太娘皇女(おほいらつめのひめみこ)は伊予に配流にされたとのことです。
ただし、巻二(九〇)の歌の題詞では配流されたのは軽皇子のほうとされており、巻二(九〇)の歌も配流された軽皇子を想って衣通王(太娘皇女のこと)が詠んだ歌とされており食い違いがあります。
また、日本書紀の記述には仁徳天皇と磐姫皇后の話にも、軽皇子と軽太皇女の話にも、どちらにもこの歌は記載されていません。
まあ、はっきりとしたことは言えませんが、おそらくはもともと磐姫皇后伝説の伝承歌としてあった連作の一首がいつしか独立して、軽皇子と衣通王(太娘皇女)の物語歌の一首としても語られるようになったのではないかと推測できます。
内容としてもこちらの衣通王の巻二(九〇)の歌は「待つには待たじ(もう待ってなどいられない。)」と、磐姫皇后の嫉妬に思い悩む歌よりも前向きな意思が表示された歌になっていますね。
このように、万葉集の時代やそれ以前の時代の歌は現在の文学作品としての歌とは違い、ときにはいろいろな物語と結び着いた歌物語として作者をも変え、伝承されていったようです。
ちなみに歌の中の「山たづ」は植物の「ニワトコ」のことで、葉が向かい合っていることから「むかう」→「むかえに」と「調べ(リズム)」をもとにした「迎へ」に懸る枕詞となっています。
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万葉集巻二
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万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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