万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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同じ石田王(いはたのおほきみ)の卒(みまか)りし時に、山前王(やまくまのおほきみ)の哀傷(かなし)びて作れる歌一首

つのさはふ 磐余(いはれ)の道を 朝さらず 行きけむ人の 思(おも)ひつつ 通(かよ)ひけまくは ほととぎす 鳴く五月(さつき)には 菖蒲草(あやめぐさ) 花橘(はなたちばな)を 玉に貫(ぬ)き〔一(ある)は云はく、貫き交(まじ)へ〕 かづらにせむと 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の時は 黄葉(もみぢば)を 折(を)りかざさむと 延(は)ふ葛(くず)の いや遠永(とほなが)く〔一は云はく、田葛(くず)の根の いや遠長に〕 万世(よろづよ)に 絶(た)へじと思ひて〔一は云はく、大船(おほふね)の 思ひたのみて〕 通(かよ)ひけむ 君をば明日(あす)ゆ〔一は云はく、君を明日ゆは〕 外(よそ)にかも見む

右の歌は、或は云はく、柿本朝臣人麿の作といへり。

巻三(四二三)
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岩石の多い磐余の道を毎朝通って行った君が、歩みながら空想したことは、ほととぎすの鳴く五月には菖蒲草や橘の花を玉に連ねて〔一は云はく、貫き交えて〕かずらにしよう。九月の時雨の時期には、黄葉を折って頭にかざそうとのことだっただろう。延びる葛のようにとても遠く長く、〔一は云はく、田葛の根のようにとても遠く長く〕、万の世まで絶えることなくと思って〔一は云はく、大船のように頼りに思って〕通っただろう君を、明日から〔一に云はく、君を明日からは〕他界の人として見るのかなあ。
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この歌は巻三(四二〇)の石田王(いはたのおほきみ)が亡くなった時に丹生王(にふのおほきみ)の詠んだ挽歌とおなじく、山前王(やまくまのおほきみ)が石田王の死を悲しんで詠んだ長歌です。
山前王(やまくまのおほきみ)は忍壁親王の子で天武天皇の孫。
ただ、左注によると一説には柿本朝臣人麿の作ともあるので山前王自身が詠んだ歌ではなく、人麿の代作であったのかも知れませんね。
あるいは、山前王の長歌を後に人麿が修正した異伝であるのかも知れませんが…

「磐余(いはれ)の道」は奈良県桜井市や飛鳥を通る古代の主要道路で、石田王の邸宅は磐余にあったことからこの道を通て毎朝、朝廷に出仕していたのでしょう。
長歌の内容は、そんな磐余道を毎朝通って石田王が想像していたことは、「ほととぎすの鳴く五月には菖蒲草や橘の花を玉に連ねてかずらにしよう。九月の時雨の時期には、黄葉を折って頭にかざそうとのことだっただろう。」と、生前の石田王の心を想像して詠っています。
そして、「延びる葛のようにとても遠く長く、万の世まで絶えることなくと思って通っただろう君を、明日から他界の人として見るのかなあ。」と、その死を悲しんでいます。

石田王については詳しいことはわかっていないのですが、一説によると山前王の弟であったともいい、「明日から他界の人として見るのかなあ。」とはそんな石田王を亡くした悲しみをよく表している表現ですよね。


奈良県桜井市に立つ「磐余道」の石標。
井上靖氏の揮毫で、阿倍野文殊院の駐車場前の道を東に少し進んだ先の交差点(奈良情報商業高校のグラウンド前)にあります。


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万葉集巻三


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万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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