万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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周防(すは)なる磐国山(いはくにやま)を越えむ日は手向(たむけ)よくせよ荒(あら)しその道
右の一首は、小典山口忌寸若麿(せうてんやまぐちのいみきわかまろ)
以前(さき)に天平二年庚午(かうご)の夏六月、師(そち)大伴卿(まへつきみ)、忽(たちま)ちに瘡(かさ)を脚(あし)に生(え)て、枕席に疾苦(くるし)みき。これによりて駅(はゆま)を馳(は)せて上奏し、望請(ねが)はくは、庶弟稲公(ままおといなきみ)、姪胡麿(をひこまろ)に、遺言(ゆいごん)を語らむとすといへれば、右兵庫助(みぎのひやうごのすけ)大伴宿禰稲公、治部少丞(ぢぶせうじよう)大伴宿禰胡麿(こまろ)の両人に勅(みことのり)して、駅(はゆま)を給(たま)ひて発遣(つかは)し、卿(まへつきみ)の病を省(み)しむ。しかして数旬(じゆん)に到※1(いた)りて、幸(さきはひ)に平復するを得たり。時に稲公等、病既に癒(い)えたるを以(も)ちて、府(つかさ)を発(た)ちて京(みやこ)に上る。ここに、大監(だいげん)大伴宿禰百代、小典山口忌寸若麿、又、卿の男家持等(をのこやかもちら)、駅使(はゆまつかひ)を相送りて、共に夷守(ひなもり)の駅(うまや)に到り、聊(いささ)か飲みて別れを悲しび、すなはちこの歌を作れり。
※1:「到」は原文では「之繞」+「至」。
巻四(五六七)
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周防の磐国山を越える日には神によく手向けをされますように。荒々しいその道ですので。
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この歌はも先の巻四(五六六)の歌と同じく、大伴稲公(おほとものいなきみ)と大伴胡麿(おほとものこまろ)の二人を見送る餞別の宴の際に詠まれた一首。
こちらは小典山口忌寸若麿(せうてんやまぐちのいみきわかまろ)の作となっています。
「磐国山(いはくにやま)」はその名の通り山口県岩国市にある山。
そんな「周防の磐国山を越える日には神によく手向けをされますように。荒々しいその道ですので。」と、二人の帰りの旅路を案じた歌となっています。
巻四(五六六)の歌の解説でも少し触れましたがこの時の詳細を記した左注によると、筑紫に派遣されている太宰師の大伴旅人(おほとものたびと)が脚に瘡(かさ)が出来て苦しんで床に臥し、庶弟の大伴稲公(おほとものいなきみ)と姪(をひ)の大伴胡麿(おほとものこまろ)に遺言したい旨を朝廷に願い出たそうです。
朝廷は大伴稲公と大伴胡麿の二人に命じて早馬を給い見舞いに行かせました。
その後、幸いにも旅人の病は数十日ほどで回復し、大伴稲公と大伴胡麿のふたりは都へと帰って行きました。
この歌はそんな二人を見送るために夷守の駅まで着いて来た山口忌寸若麿が餞別の宴の席で詠んだものとのこと。
この餞別の宴には旅人の子の大伴家持(おほとものやかもち)もいたようで、旅人の病状が回復したこともあって二人との別れを惜しみながらも賑やかな宴となったようですね。
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万葉集巻四
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