万葉集入門
万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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蓋(けだ)し聞く、四生(ししやう)の起き滅ぶることは、夢(いめ)の皆空(むな)しきが方(ごと)く、三界(さんがい)の漂ひ流るることは環(たまき)の息(や)まぬが喩(ごと)し。所以(かれ)、維摩大士(ゆいまだいし)は方丈に在りて、染疾(せんしつ)の患(うれへ)を懐(むだ)くことあり、釈迦能仁(しやかのうに)は、双林(さうりん)に坐(いま)して、泥亘※1(ないをん)の苦しみを免るること無しと、。故(かれ)知る、二聖(にしやう)の至極も、力負(りきふ)の尋ね至るを払ふこと能はず、三千の世界に、誰か能く黒闇(こくあん)の捜(たづ)ね来(きた)るを逃れむ、と。二つの鼠競(きほ)ひ走り、目を度(わた)る鳥旦(あした)に飛び、四つの蛇(へみ)争ひ侵(をか)して、隙(げき)を過ぐる駒夕(ゆふへ)に走る。磋呼痛(ああいたま)しきかも。紅顔は三従(じゆう)と長(とこしへ)に逝(ゆ)き、素質は四徳と永(とこしへ)に滅ぶ。何そ図(はか)らむ、偕老(かいらう)の要期(えうご)に違(たが)ひ、独飛(どくひ)して半路に生きむことを。蘭室(らんしつ)の屏風徒(いたづ)らに張りて、腸を断つ哀(かな)しび弥(いよよ)痛く、枕頭の明鏡空しく懸(かか)りて、染竹※2(せんゐん)の涙逾(いよよ)落つ。泉門一たび掩(おほ)はれて、再(また)見るに由無し。嗚呼哀(ああかな)しきかも。

愛河(あいが)の波浪は已先(すで)に滅(き)え、
苦海の煩悩(ぼんなう)も亦結ぼほることなし。
従来(むかしより)この穢土(ゑど)を厭離(えんり)す。
本願をもちて生を彼(そ)の浄刹(じやうせつ)に託(よ)せむ。


※1:「亘」は原文では「さんずい偏」+「亘」
※2:「竹」は原文では「竹かんむり」+「均」

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あるいはこのように聞いている、生き物の生まれて滅ぶことは、夢のように空しきことで、三つの世界に漂い流れることは、まるで円の環のように繰り返されるようだ。それ故に維摩大士は方丈にあって病気の憂いを抱き、釈迦も沙羅双樹の下で死の苦しみを逃れることは出来なかった。故に知る、二人の至極の聖人も万物の変化を退けることは出来ず、三千世界の中で誰も死の黒闇を逃れることは出来ないのだ、と。昼夜の二匹の鼠は争って走り去り、人生は目の前を飛ぶ鳥のように一朝にして消え、四大の身は先を争って、隙間を過ぎ去る馬のように一夕にして走り去る。ああ、なんと空しいことだ。若い紅顔は婦徳とともに永遠に消え、若く白い肌もまた婦徳とともに永遠に滅ぶ。どうして想像することが出来ただろう、夫婦の偕老の約束を違え、孤独な鳥となって人生の半分の路を生きてゆくなどと。香しい閨の屏風は空しく張られて、断腸の哀しみいよいよ深く、枕辺の鏡は空しく懸ったままで、竹を染めたといわれる涙はいよいよ流れ落ちる。黄泉路への門は一たび閉じると開くことはなく、再び逢うことも出来ない。ああ、哀しいことだなあ。

妻との愛欲の河に波はすでに消え、
苦悩の煩悩もまた結ばれることはない。
昔よりずっとこの穢土の世を嫌って来た。
心からの願いを持って浄土に生を託そう。
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この詩文は大伴旅人(おほとものたびと)の妻の死(巻五:七九三を参照)に対する追悼文と追悼詩で、作者は不明ですがおそらくは山上憶良(やまのうへのおくら)の作ではないかと思われます。

万葉集巻五は全二十巻の中でも独特の内容を持った巻で、大伴旅人や山上憶良を中心としたいわゆる筑紫歌壇の人々による漢詩や漢文学の要素を取り入れた当時の新鋭文学的な色が濃く出た巻となっています。
ここで紹介した漢文と漢詩にも、そんな大陸から伝わった仏教的思想が色濃く表れていますね。

維摩大士(ゆいまだいし)は維摩経の主人公で、学識の優れた在家信者。
釈迦能仁(しやかのうに)は仏教の開祖。
冒頭文ではそんな二人の聖人も万物の変化を退けることは出来ず苦しんだと詠い、広い世界の中で誰一人黒闇を逃れることは出来ないのだと、この世の無常を詠っています。
そして人生の過ぎ去る速さに嘆き、亡くなった妻に再び逢う術はないのだと悟った哀しみが詠われています。

最期の漢詩文では、亡くなった妻との愛欲の河がもはや無くなったことを嘆き、苦悩の煩悩だけが結ばれることなく漂う虚しさを表現しています。
そして、昔よりこの穢れた現世の世を嫌って来たのだとその心情を語り、心からの願いを持って浄土に生を託そうと、極楽浄土(あの世)での暮らしに望みを託して締めくくっています。

こうして見ると、仏教思想が色濃く出ていて、和歌や日本古来の信仰が根底にあったこれまでの巻の歌との違いがなんとも興味深い詩文ですよね。
この詩が詠まれたのは大伴旅人が大宰師として大宰府(筑紫)に赴任して間もなくのことですが、当時の大宰府は外国との交易の窓口でもあり、大陸の文化や影響を真っ先に受ける土地でもありました。
また、山上憶良はかつて遣唐使として大陸に渡ったこともありそんな特別な環境が、この詩文やあるいは巻五全体の独特な特色となって表れているように感じます。


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万葉集巻五の他の歌はこちらから。
万葉集巻五


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価637円〜〜1145円(税別)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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