万葉集入門
現存する日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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橘宿禰奈良麿(たちばなのすくねならまろ)の、詔(みことのり)に応(こた)へる歌一首
奥山の真木(まき)の葉凌(しの)ぎ降る雪の降りは益(ま)すとも地(つち)に落ちめやも
巻六(一〇一〇)
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奥山の真木の葉をなびかせて降る雪がよりいっそう降ったとしても橘の実が地に落ちることなどあるでしょうか
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この歌は葛城王(かづらぎのおほきみ)たちが橘(たちばな)の姓を賜って臣下に下ったときに聖武天皇から賜られた先の巻六(一〇〇九)の御製歌に、橘宿禰奈良麿(たちばなのすくねならまろ)が答えて詠んだ一首。
巻六(一〇〇九)の御製歌で「橘は実までも花までもその葉までも、枝に霜が降りてもますます常緑の樹だ」と聖武天皇が橘の名を讃えたのに対して、「奥山の真木の葉をなびかせて降る雪がよりいっそう降ったとしても橘の実が地に落ちることなどあるでしょうか」と、橘の樹に一族の繁栄を重ねて詠んだ一首となっています。
結句の「地に落ちめやも」は「地に落ちることなどあるでしょうか…いいえあるはずがございません」との否定を伴った問いになっています。
橘奈良麿は橘諸兄(たちばなのもろえ)の子で、このとき、父の諸兄とともに橘姓を賜り一族は皇族から臣下に下りました。
そして後に、父の諸兄は左大臣となって藤原四兄弟亡き後の朝廷を主導していきます。
ただ、その栄光も長くは続かず、聖武天皇が退位されて孝謙天皇の代になってからは孝謙天皇は藤原仲麿を重用するようになり、橘諸兄は酒の席での失言を理由に失脚し翌年死去してしまいます。
そんな状況に不満を募らせた奈良麿は大伴古麿らとともに挙兵を計画するも密告人によって通報されて事前に鎮圧。
捕えられた奈良麿がその後どうなったのかは詳しくはわかりませんが、おそらくは獄死したのではないかといわれています。
そんなその後の歴史を知って読むと、この時の奈良麿の歌にもまた違った感慨が湧いてきますね。
京都府綴喜郡井手町の六角井戸のあたり。
この地はかつて橘氏の玉井頓宮があった場所といわれており、橘奈良麿もこの地で左大臣の子としての一時の栄華を堪能したのでしょう。
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万葉集巻六
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県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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