万葉集入門
現存する日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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宇治人(うぢひと)の譬(たと)への網代(あじろ)われならば今は王良増木屑来(こつみこ)ずとも
巻七(一一三七)
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宇治の人の譬えにされる網代のように私は今ここで待っています木屑しか流れて来なくても
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この歌も巻七(一一三五)の歌などと同じく、「山背(やましろ)にして作れる」と題された歌の一首で作者は不明となっています。
「王良増」の部分は読みの解釈が確定していないようで、「王」を「世」の誤りとして「よらまし(寄らまし)」と解釈されることもあるようですが、ここでは一応、「をらまし(居らまし)」で「ここにいる」と解釈しておきました。
「網代(あじろ)」は竹や木などを網状にして魚を獲る仕掛けのことで、この時代、宇治の人の譬えとされていたようです。
あるいはこの歌の作者自身が「宇治の人」であったのでしょうか。
そんな「宇治の人の譬えにされる網代のように私は今ここで待っています木屑しか流れて来なくても」と、愛しい人に巡り合えるのを宇治の網代のようにじっと待っている心情を詠った一首のようにも思えます。
「木屑しか流れて来なくても」と言うのも、良縁に恵まれない状況を譬えたものなのでしょう。
「雑歌」の巻の巻七にこのような恋歌とも取れる歌が収録されているのは少し違和感を感じますが、「相聞歌」が相手と交す歌であるとするならこの歌のように相手を限定せずに良縁を望む歌は雑歌のうちに振り分けられても不思議はないのかも知れませんね。
まあ、待っているものが「人」との良縁でなく、なんらかの「果報」であるとも解釈できますし。
どちらにしても、自らを宇治の網代に譬えて、まさに「果報は寝て待て」的な一首といえるでしょう。
京都府宇治市の宇治川。
現在の宇治は観光地として栄えています。
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万葉集巻七
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県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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