万葉集入門
現存する日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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大伴坂上郎女の筑紫(つくし)の大城(おほき)の山を思(しの)へる歌一首
今もかも大城(おほき)の山に霍公鳥鳴き響(とよ)むらむわれ無けれども
巻八(一四七四)
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今でも大城の山では霍公鳥が鳴き声を響かせているだろうか。私はもうそこにはいないけれど…
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この歌は大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)がかつて過ごした筑紫の大城(おほき)の山を思いながら詠んだ一首です。
坂上郎女は大伴旅人(おほとものたびと)の異母妹で、病に伏して亡くなった旅人の妻の大伴郎女(おほとものいらつめ)(巻八:一四七二などを参照)に代わって筑紫の大宰府に赴き、大伴家の刀自(とじ)として家事を取り仕切っていたようですね。
歌などは残っていませんが、この旅人の大宰府赴任には旅人の子である大伴家持(おほとものやかもち)や、家持の弟の書持(ふみもち)も同行していたようです。
そんな坂上郎女が旅人の大宰府での任期を終えて皆で奈良の京へ帰ってきた後に、筑紫時代を思い出して「今でも大城の山では霍公鳥が鳴き声を響かせているだろうか。私はもうそこにはいないけれど…」と、かつて大城の山で聞いた霍公鳥(ほととぎす)の鳴き声を思い出して詠った一首となっています。
大城(おほき)の山は大宰府の北方にある山。
おそらくは奈良の京で霍公鳥の声を聴いたことで、大城の山で聴いた霍公鳥の声を思い出したのでしょうね。
ただ、この歌もまた深読みをすれば、大宰府で亡くなった旅人の妻の大伴郎女が霍公鳥となって(霍公鳥には中国の古蜀という国の聖帝が亡くなった後に霍公鳥になって昔を懐かしんで鳴いたとの故事があります。)今も大城の山でひとり寂しく鳴いているのだろうか、との意味も込められているようにも読めますよね。
そのように読むと、結句の「われ無けれども(わたしはもうそこにはいないけれど…)」が、ひとり大宰府に残された大伴郎女の魂の孤独を感じさせて、よりいっそう寂しく響いてくるようなそんな気もします。
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万葉集巻八
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万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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