万葉集入門
現存する日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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式部大輔石上朝臣堅魚朝臣(しきぶのだいふいそのかみのかつをのあそみ)の歌一首
霍公鳥来(ほととぎすき)鳴き響(とよ)もす卯(う)の花の共にや来(こ)しと問はましものを
右は、神亀五年戊辰(ぼしん)に大宰師(そち)大伴卿(まへつきみ)の妻大伴郎女(いらつめ)、病に遇(あ)ひて長逝す。時に勅使式部大輔石上朝臣堅魚を大宰府に遣して、喪(も)を弔(とぶら)ひ并(あは)せて物を賜へり。その事既に畢(をは)りて駅使(はゆまづかひ)と府(つかさ)の諸(もろもろ)の卿大夫等(まへつきみたち)と、共に記城(き)の城(き)に登りて望遊せし日に、乃(すなは)ちこの歌を作れり。
巻八(一四七二)
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霍公鳥がやって来ては鳴き声を響かせているよ。卯の花の咲くのとともにやって来たのかと問いたいものだなあ。
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この歌は式部大輔石上朝臣堅魚朝臣(しきぶのだいふいそのかみのかつをのあそみ)の詠んだ一首です。
左注によると神亀五年戊辰(ぼしん)に大宰師(だざいのそち)の大伴旅人(おほとものたびと)の妻の大伴郎女(おほとものいらつめ)が病に伏して亡くなったときに、朝廷は石上堅魚(いそのかみのかつを)を使者として大宰府に遣わして弔わせ、旅人に贈り物を与えたとのことです。
この歌はそのことが済んだ後、石上堅魚が駅使や大宰府の官人らとともに記城の城に登って遠望を楽しんだ時に詠んだものとのこと。
(大伴旅人の妻の死については巻五:七九三や憶良の詠んだ巻五:七九四以降の日本挽歌などもまた参考にしてみてください。)
そんな旅人の妻の大伴郎女の死を弔うために大宰府に遣わされた石上堅魚が詠んだ一首ですが「霍公鳥がやって来ては鳴き声を響かせているよ。卯の花の咲くのとともにやって来たのかと問いたいものだなあ。」と、卯の花の咲く時期にやって来て鳴いている霍公鳥に問いたいけれど鳥は答えないとの反実仮想の内容となっています。
記城の城は大宰府の西南の山で、基山(きざん)のこと。城塞があったのでこのように呼ばれていたようですが、そこに卯の花が咲いていたのでしょう。
卯の花は初夏に咲く花で、ちょうど霍公鳥の飛来して鳴き出す頃に咲くので「卯の花の咲くのと共にやって来たのか」と、問いかけたいとの風流な一首といった感じでしょうか。
ただ、左注の背景などを考慮に入れると、あるいは卯の花を大伴旅人、霍公鳥を石川郎女に譬えて、霍公鳥となった石川郎女が大宰府に残された旅人の共としてやって来たのかと詠っているようにも思えますよね。
(霍公鳥には中国の古蜀という国の聖帝が亡くなった後に霍公鳥になって昔を懐かしんで鳴いたとの故事もあります。)
おそらくはそんな二重の意味を重ねて詠んだ一首だったのではないでしょうか。
卯の花。
卯の花は初夏に咲く花で、万葉の時代には「うつぎ」とも呼ばれていました。
植物辞典などではあまり匂いはしないとのことですが、僕が実際にかいだ感じではかすかに上品な香りがしました。
卯の花の別名「空木(うつぎ)」は枝の中が空洞なことからついたそうです。
写真は落ちていた枯れ枝を折ってみたところ。
たしかに空洞になっていますね。
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万葉集巻八
万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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