万葉集入門
万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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大津皇子(おほつのみこ)薨(かむあが)りましし後に、大伯皇女(おほくのひめみこ)の伊勢(いせ)の斎宮(いつきのみや)より京(みやこ)に上(のぼ)りし時に作りませる御歌二首

神風(かむかぜ)の伊勢の国にもあらましをなにしか来(き)けむ君もあらなくに

巻二(一六三)
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神風の吹く伊勢の国にいればよかったのになぜ都に帰ってきたのだろう。愛しい君ももういないのに。
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巻二(一○五)巻二(一○六)の歌のときに、反逆者となるかも知れない危険を犯し伊勢の国の斎宮であった姉の大伯皇女に会いに行った大津皇子。
結局その行為がもとで彼は国家転覆を企んだ反逆者として捕縛され絞首刑に処せられてしまいます。

処刑の前、大津皇子は次のような時世の歌を詠みました。
ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日(けふ)のみ見てや雲隠(がく)りなむ 万葉集巻四(四一六)
(磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日を限りに僕は雲のかなたに去るのだろうか)

大津皇子の歌についてはまたいずれ解説させていただきますが、なんともやるせなさの漂う一首ですね。

この大津皇子謀反の背後には、文武に優れ人望厚い大津皇子ではなく自分の生んだ子である病弱の草壁皇子を、天武天皇亡き後の次の天皇にしたいと願う沙羅羅(さらら)皇女の陰謀があったという説が有力です。
ただ、姉の子でもある大津皇子を殺してまで望んだ草壁皇子の皇位継承も、結局は草壁皇子が病気で亡くなり実現しませんでした。
この後、草壁皇子の子である軽皇子(後の文武天皇)が成長するまでの中継ぎとして、沙羅羅皇女自身が即位し持統天皇となります。

この歌は持統天皇が即位したことで伊勢神宮の斎宮の職を解かれた大伯皇女が都に戻ったときに詠んだ二首のうちの一首です。
この歌の君とはもちろん弟の大津皇子。
あのまま伊勢の国にいればよかったものをなぜ都に帰ってきたのだろう。愛しい君ももういないというのに…と、弟のいない都に帰って来た寂しさを歌に込めています。


奈良県桜井市戒重の吉備春日神社境内にあるこの歌の歌碑。
桜井市にはおなじ戒重に大きな通りに面して目立つ春日神社がもうひとつありますので、もし見学に行かれる時は間違わないように気をつけてください。
歌碑のある春日神社は桜井自動車学校の南前の細い道を西に入った入り組んだ分かりにくい場所にあります。



「金鳥臨西舎鼓聲
催短命泉路無賓
主此夕離家向」
という、大津皇子の漢詩の横に小さくこの歌が刻まれています。


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万葉集巻二の他の歌はこちらから。
万葉集巻二


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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