万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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天数(あまかぞ)ふ凡津(おほしつ)の子が逢ひし日におほに見しくは今ぞ悔(くや)しき
巻二(二一九)
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天にまで数えるほど多い…凡津(おほしつ)の子と逢った日にぼんやりとしか見なかったのは悔やまれることだ。
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この歌も先の巻二(二一八)の歌と同じく巻二(二一七)の長歌に付けられた二首の反歌のひとつで、作者は柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)と思われます。
「天数(あまかぞ)ふ」は天にまで数えるほど多い、の意味で、「多い」の響きと意味から「凡(おほし)」を引き出しているわけですね。
「凡津(おほしつ)の子」は「大津の子」と同じ意味で志賀津娘(しがのつのをとめ)のことで、こちらの反歌も先の巻二(二一八)の歌と同じく、長歌の吉備津采女(きびのつのうねめ)ではなく志賀津娘を詠っていてます。
まあ、この歌もおそらくは吉備津采女の死を悼んだ長歌の反歌として、既存の歌としてあった志賀津娘の歌をつけたものなのでしょう。
この時代の長歌のにはこのように既存の歌を反歌としてつけることも珍しいことではなかったようです。
ただ、内容は「凡津(おほしつ)の子と逢った日にぼんやりとしか見なかったのは悔やまれることだ。」と、巻二(二一七)の長歌で柿本人麿が吉備津采女を「おほに見し(ぼんやりとしか見たことはないけれど)」と詠っていたことと重なっており、そんな作者の共通した悔やまれる心がこの歌を吉備津采女を悼む長歌の反歌として選んだ理由であるとも想像出来ます。
「会う」ではなく「逢う」という字が使われていることから、あるいは人麿は志賀津娘とはそれなりに深い交流があったのかも知れませんね。
「二度と逢えない人と知っていたのなら、あの時もっとしっかりと見ておくべきだった…」と、何時の時代も人は二度と戻っては来ない過去を悔やむことしか出来ないのでしょう。
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万葉集巻二
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