万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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河風(かはかぜ)の寒き長谷(はつせ)を嘆(なげ)きつつ君があるくに似(に)る人も逢(あ)へや
右の二首は、或は云はく、「紀皇女(きのひめみこ)の薨(かむあが)りましし後に、山前王(やまくまのおほきみ)、石田王(いはたのおほきみ)に代わりて作れり」といへり。
巻三(四二五)
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河風の寒い泊瀬を嘆きながら君は歩いていたが、あの人と似た人に逢うとでもいうのだろうか。
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この歌も先の巻三(四二四)の歌とおなじく、石田王(いはたのおほきみ)が亡くなった時に山前王(やまくまのおほきみ)の詠んだ巻三(四二三)の長歌につけられた二首の反歌のうちのひとつ。
巻三(四二四)の歌とおなじく、内容が巻三(四二三)の長歌の反歌には微妙に合わないことから、この歌ももともとは別に詠まれたものだったのでしょう。
「長谷(はつせ)」は巻三(四二四)の歌の「泊瀬」とおなじで奈良県桜井市初瀬地方のこと。
そんな「河風の寒い泊瀬を嘆きながら君は歩いていたが、あの人と似た人に逢うとでもいうのだろうか。」と、かつて泊瀬の道を嘆きながら歩いていた石田王のことを偲んで詠んだ挽歌となっています。
この歌の後の左注には「右の二首は、或は云はく、「紀皇女(きのひめみこ)の薨(かむあが)りましし後に、山前王(やまくまのおほきみ)、石田王(いはたのおほきみ)に代わりて作れり」といへり。」とあることから、石田王は紀皇女の亡骸の葬られた泊瀬を嘆きながら歩いていたことが想像できます。
紀皇女はおそらくは石田王の妻だったのでしょう。
左注を信じればこの歌は山前王が妻を亡くした石田王に代わって詠んだ歌で「河風の寒い泊瀬を嘆きながら君(石田王)は歩いていたが、あの人(紀皇女)と似た人に逢うとでもいうのだろうか。」といった感じの意味になるでしょうか。
ただ、石田王の死を悼んだ巻三(四二三)の長歌の反歌として読むなら「河風の寒い泊瀬を嘆きながら君(石田王)は歩いていたが、あの人(石田王)と似た人に(私は)逢うとでもいうのだろうか。」という意味にも解釈できそうですね。
このように、過去に詠まれた短歌を別の長歌の反歌として利用されたりすることはけっこうあったようなので、この歌もどちらの意味で解釈してもおそらく間違いではないのでしょう。
以上、石田王の死を悼んだ挽歌の解説でした。
隠口の泊瀬。
(奈良県桜井市初瀬)。
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万葉集巻三
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