万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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大伴佐提比古(おほとものさでひこ)の郎子(いらつこ)、特に朝命(てうめい)を被(かがふ)り、使を蕃国(とつくに)に奉(うけたまは)る。艤棹(ふなよそひ)して言(ここ)に帰(ゆ)き、稍蒼波(ややにさうは)に赴く。妾(をみなめ)松浦〔佐用比売〕、この別るるの易きを嗟(なげ)き、彼(そ)の会ふの難きを嘆く。即ち高山の嶺(みね)に登りて、遙かに離れ去(ゆ)く船を望み、悵然(うら)みて肝(きも)を断ち、黯然(いた)みて魂(たま)を銷(け)す。遂に領布(ひれ)を脱ぎて麾(ふ)る。傍(かたはら)の者涕(ひとなみだ)を流さずといふこと莫(な)し。これに因(よ)りてこの山を号(なづ)けて領巾麾(ひれふり)の嶺(みね)と曰(い)ふ。及(すなは)ち、歌を作りて曰はく
遠つ人松浦佐用姫夫恋(まつらさよひめつまごひ)に領巾(ひれ)振りしより負(お)へる山の名
巻五(八七一)
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遠い人を待つ松浦佐用姫が夫を恋しさに領巾を振ってから負っている山の名です
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この歌は山上憶良(やまのうへのおくら)が佐用比売の伝説を詠み込んだ先の巻五(八六八) 〜 巻五(八七〇)の歌に影響を受けて、大宰府の官人たちが詠んだ一連の歌のうちのひとつ。
歌の前の序文と、この巻五(八七一)の歌の作者はおそらく大宰府の長官である大伴旅人(おほともたびと)だろうと思われます。
巻五(八六八)の歌で松浦遊行に出た大伴旅人たちに仕事の都合で独り残された山上憶良が、「松浦の県の佐用比売が領巾を振った山の名前だけを聞いて私は過ごすのでしょうか」と詠ったことから発想を広げてこれらの歌が生まれたのでしょう。
序文ではまず、「佐用比売の領巾麾の嶺伝説」についての解説が以下のようになされています。
大伴佐提比古の郎子は、特別に朝廷からの命令を受けて蕃国への使いを務めた。船の準備をして出航し、次第に蒼海原へと遠ざかって行った。妾(つま)の松浦佐用比売は人の世の別れ易さを嘆いて、ふたたび夫に逢うことの難しさを嘆いた。そして高山の嶺(みね)に登って、遙かに離れ去ってゆく船を望んで、失意のあまりに肝を断ち、目の前も暗く魂の消える思いだった。そこでついに領布(ひれ)を取って振った。傍にいる者は皆、涙を流さない人はしなかった。このことによってこの山を領巾麾(ひれふり)の嶺(みね)と呼ぶようになった。そこで、歌を作っていうことには…
と、以降の一連の歌につづけています。
「郎子(いらつこ)」は若い男子の意味で、佐用比売(さよひめ)の夫の大伴佐提比古(おほとものさでひこ)のこと。
「蕃国(ばんこく)」とは朝鮮半島の新羅のことで、大伴佐提比古は朝廷の命令で新羅討伐に向かったようですね。
歌の内容もこの序文の伝説そのままに「遠い人を待つ松浦佐用姫が夫を恋しさに領巾を振ってから負っている山の名です」と、領巾麾の嶺の名前の由来を詠ったものとなっています。
松浦遊行を欠席した憶良が自らの身の鬱憤を詠んだ巻五(八六八)などの歌が思わぬ広がりを見せたわけですが、和歌が独りの独詠で完結せずにつぎつぎに周りの人々へと詠い連なってゆくのは、筑紫歌壇をはじめとする奈良時代の宴の席でのひとつの特色だったようです。
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万葉集巻五
万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価637円〜〜1145円(税別)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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