万葉集入門
日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)
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難波津に御船泊(みふねは)てぬと聞(きこ)え来(こ)ば紐(ひも)解き放(さ)けて立走(たちばし)りせむ
天平五年三月一日、良(ら)の宅(いへ)にて対面して、献(たてまつ)ることは三日なり。山上憶良謹みて上がる
大唐大使郷(たいたうたいしのまへつきみ)記室
巻五(八九六)
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難波の港に御船が帰ったと聞こえて来たならば、紐を結ぶのも忘れて走り出て迎えに行きましょう
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この歌も先の巻五(八九五)の歌と同じく、山上憶良(やまのうへのおくら)が遣唐使として唐へ渡る丹比広成(たぢひのひろなり)に贈った送別歌で、巻五(八九四)の長歌に付けられた二首の反歌のうちのひとつ。
左注にある「大唐大使郷(たいたうたいしのまへつきみ)」とは丹比広成のことで、「記室」は広成の役職の書記官の意味。
また、「難波津」は「大伴の御津(みつ)」とおなじ難波の御津のこと。
そんな「難波の港に御船が帰ったと聞こえて来たならば、紐を結ぶのも忘れて走り出て迎えに行きましょう」と、こちらの歌でも広成たち遣唐使の無事の帰りを待っているとの送別歌となっています。
もちろん、ほんとうに難波津まで迎えに行くわけではありませんが、それぐらいの気持ちで帰りを待っているとの憶良の真心がよく表れている一首ですよね。
ちなみに丹比広成は唐に渡った二年後に帰国しており、このとき先に遣唐使として唐に渡っていた吉備真備(きびのまきび)や玄ム(げんばう)も一緒に帰国したようです。
帰りの航海は嵐に逢って種子島に漂着したようですが、命からがらにでも無事に戻ってこられたのはこの時すでに亡くなっていた憶良の加護があったからなのかも知れませんね。
以上、山上憶良が遣唐使として唐へ渡る丹比広成に贈った送別歌の解説でした。
奈良市の平城京歴史館前にある遣唐使船(実物大復元)。
遣唐使船(実物大復元)の船上。
奈良県奈良市高畑にある「頭塔(ずとう)」。
一説に、丹比広成とともに唐から帰国した玄ムの頭を埋めた墓だともいわれています。
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万葉集巻五
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万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。
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