万葉集入門
万葉集入門
現存する日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

スポンサード リンク


橘の本(もと)に道履(ふ)む八衢(やちまた)にものをそ思ふ人に知らえず

右の一首は、右大弁高橋安麿卿(うだいべんたかはしのやすまろのまへつきみ)語りて云はく「故(なく)豊島采女の作なり」といへり。ただ或る本に云はく「三方沙弥(みかたのさみ)の、妻の苑臣(そののおみ)に恋ひて作れる歌なり」といへり。然らばすなはち、豊島采女は、当時当所(そのときそのところ)にこの歌を口吟(うた)へるか。

巻六(一〇二七)
-----------------------------------------------
橘の下に人々が道を踏む八衢のようにあれこれと物思いをすることだなあ。人に知られもしないで
-----------------------------------------------

この歌も巻六(一〇二四)の歌などと同じく、右大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)の邸宅での宴のときに誦された歌のうちのひとつ。
左注によると右大弁の高橋安麿(たかはしのやすまろ)が、「この歌は亡き豊島采女(としまのうねめ)の歌だ」と語って披露したそうですが、編者の注釈として別の本には三方沙弥(みかたのさみ)が妻の苑臣(そののおみ)に恋して詠んだ歌であると記載されており、「豊島采女が折に触れてこの歌を口ずさんでいたのだろうとか」との解釈がなされています。

三方沙弥については詳しいことはわかりませんが、あるいは山田史三方(やまだのふひとみかた)の出家した名でしょうか。
先の巻六(一〇二六)の歌のときにも書きましたが、豊島采女たち采女は歌の伝誦もまた役目のひとつだったようですので、おそらくは三方沙弥の詠んだこの歌を豊島采女が好んで口誦したのでしょうね。

歌の内容は「橘の下に人々が道を踏む八衢のようにあれこれと物思いをすることだなあ。人に知られもしないで」と、橘の木の下の道が八方に分かれているようにあちこちと定まらずに物思いする恋心を詠った一首となっています。
(「八衢に」までが「ものをそ思ふ」を引き出す序詞になっているわけですね。)

橘邸での宴で、先の巻六(一〇二六)の歌を豊島采女の歌として橘諸兄が披露し話題に出たことで、高橋安麿もまた同じく豊島采女のよく口ずさんでいたこの歌を披露したのだと思われますが、宴の主人である橘諸兄の名前の橘の木の下に人々が集っている様子も浮かんできてこの歌を披露した高橋安麿もなかなかに優れた感性の持ち主だったことがわかります。
これらの歌を読んでいると、なんだかこの宴が行われていた日の様子が万葉集の歌を通じて目の前に蘇ってくるような、そんな不思議な感覚もしてきますよね。


橘(たちばな)は蜜柑類の総称。
万葉の時代、市など人々が集う場所には果実をつける木が植えられていたようで、橘もそのうちのひとつだったのでしょう。


スポンサード リンク


関連記事
万葉集巻六の他の歌はこちらから。
万葉集巻六


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

万葉集入門(トップページ)へ戻る

当サイトはリンクフリーです、どうぞご自由に。
Copyright(c) 2016 Yoshihiro Kuromichi (plabotnoitanji@yahoo.co.jp)


スポンサード リンク


欲しいと思ったらすぐ買える!楽天市場は24時間営業中

Amazon.co.jp - 通販