万葉集入門
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現存する日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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冬十月、難波(なには)の宮に幸しし時に、笠朝臣金村の作れる歌一首并せて短歌

押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の 思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥 味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども

巻六(九二八)
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一面に日が輝く難波の国は、葦垣が枯れたような古い都と人々が皆忘れてしまって、見向きもしなかったが、積んだ麻糸のように長い長柄の宮に、立派な柱を太く高く天皇が君臨なさりご領地をお治めになると、沖を飛ぶ鳥の味経の原に、もののふのたくさんの廷臣たちは仮の宿りを作ってさながら京のように作り上げたことだ。旅ではあるのだけれど
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この歌は聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首です。
題詞に「冬十月」とあるのは、巻六(九二〇)の題詞を受けてのことで、この難波行幸が神亀二年十月の聖武天皇の行幸であることを示しています。

難波宮は大化の改新の後の孝徳天皇の頃に都のあった場所で、後に聖武天皇も一時期、難波宮を京としました(巻六:一〇三七などを参照)。
「長柄(ながら)の宮」は孝徳天皇の時代の都で、難波宮のこと。

そんな難波宮への聖武天皇の行幸時に笠金村が詠んだ長歌ですが、冒頭では難波宮を葦垣が枯れたような古い都だとして人々が皆忘れてしまって、見向きもしなかった都であると詠っています。
そしてそんな古びた難波宮も聖武天皇が行幸されたことでたくさんの廷臣たちが仮の宿りを作って、さながら都のように賑やかになったと誉め讃えています。

まあ、この時の行幸の様子そのものを詠って、聖武天皇の威光を讃えた一首といったところでしょうか。
同時に、古びた難波宮の土地を慰めているようにも読める歌ですね。


難波の宮は現在の大阪歴史博物館のあたりにありました。



NHK大阪放送局(左)と大阪歴史博物館(右)。
これらの建物は難波宮跡の遺跡の上に建っていて、NHK大阪放送局の地下には遺跡がそのまま保存(歴史博物館受付での当日予約で見学可能)されています。



後期(聖武天皇期)難波の宮の復元模型。
大阪歴史博物館展示品。
(後期難波宮はこの歌の神亀二年の行幸が行われた翌年に藤原宇合を知造難波宮事に任命して造営されました。)
大阪歴史博物館の七階は難波宮の展示になっていて、他にも大極殿内の実物大復元模型や貴重な資料などが見学できます。



大阪歴史博物館から見た難波の宮跡。
復元された基壇のあるのは大極殿跡。



難波の宮跡の展望図。


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万葉集巻六


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万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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