万葉集入門
万葉集入門
現存する日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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牽牛(ひこぼし)は 織女(たなばたつめ)と 天地(あめつち)の 別れし時ゆ いなうしろ 川に向き立ち 思ふそら 安らかなくに 嘆くそら 安らかなくに 青波(あをなみ)に 望みは絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息衝(いきづ)き居(を)らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗(にぬり)の 小舟(をぶね)もがも 玉纏(たままき)の 真櫂(まかい)もがも〔一(ある)は云(い)はく、小棹(をさを)もがも〕 朝凪(あさなぎ)に い掻(か)き渡り 夕潮に〔一は云はく、ゆふべにも〕 い漕(こ)ぎ渡り ひさかたの 天(あま)の川原(かはら)に 天(あま)飛ぶや 領巾(ひれ)片敷き 真玉手(またまで)の 玉手(たまで)さし交(か)へ あまた夜も 寝(い)ねてしかも〔一は云はく、いもさねてしか〕秋にあらずとも〔一に云はく、秋待たずとも〕

巻八(一五二〇)
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牽牛と織女は、天地の別れたときよりずっと稲蓆(いなむしろ)の川に向い立って、思い合う身も安からず、嘆く身も安からず、川の青波によって望みは絶たれてきた。白雲にさえぎられて涙は尽きない。こうしてばかりため息をついているのだろうか。このようにばかり恋つづけているのだろうか。赤く塗った小舟が欲しい。美しく皮を巻いた櫂も欲しい〔一は云はく、小棹も欲しい〕。朝の凪に櫂をかいて渡り、夕べの潮に〔一は云はく、夕べにも〕舟を漕いで渡り、久方の天の川原に天を翔る領巾を半ば敷いて、真玉のような美しい手を交して、幾夜でも寝たいものだ〔一は云はく、寝ることもしたいものだ〕。秋ではなくても〔一に云はく、秋を待たずとも〕
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この歌も巻八(一五一八)の歌などと同じく、山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)が七夕を詠んだ十二首の歌のうちのひとつ。
「一に云はく」の部分は憶良自身による語句の別案でしょうか。

この歌の反歌である巻八(一五二二)の歌の後に付けられた左注によると、この歌から巻八(一五二二)までの三首は天平元年七月七日の夜に詠んだもので、大宰師として大宰府に赴任していた大伴旅人の邸宅での作ともいわれています。
この頃は憶良も筑前守として九州に赴任していたので、大伴旅人の館で大宰府の官人たちを集めた七夕を祝う宴でも開かれていたのでしょうね。

そんな七夕の夜に山上憶良が詠んだ長歌ですが、冒頭ではまず、牽牛と織女が天地の別れたときよりずっと二人を隔てる天の川に向い立って、お互いを慕い合いながらも手を触れて逢うことの出来ない嘆きを詠っています。
そして、牽牛の立場に立って、「赤く塗った小舟が欲しい」「美しく皮を巻いた櫂も欲しい」と願い、「それらを手に入れたなら舟を漕いで天の川を渡って織女と幾夜でも寝たいものだ。秋ではなくても」と、一年中いつでも自由に織女に逢いたいとの切ない恋心を詠っています。

基本的には七夕伝説の内容をそのまま詠った長歌ですが、牽牛の男の立場に立って織姫に逢いに行くための舟や櫂を望む恋心の描写が読み手の共感を生む素敵な一首になっていますよね。
愛しい相手と隔たれた七夕伝説の切なさは、憶良たち万葉の時代の人々にとっても我々現代人と同じく心打たれる恋の物語だったのでしょう。


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万葉集巻八


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価620円〜〜1020円(税込み)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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