万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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沙弥満誓(さみまんせい)の綿(わた)を詠(よ)める一首〔造筑紫観音寺別当(つくしのくわんおんじをつくるべつたう)、俗姓は笠朝臣麿(かさのあそみまろ)なり〕

しらぬひ筑紫(つくし)の綿(わた)は身につけていまだは著(き)など暖(あたた)かに見ゆ

巻三(三三六)
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しらぬひの筑紫の綿は身につけていまだ着たことはないけれど、暖かそうに見えることだなあ。
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この歌は沙弥満誓(さみまんせい)が筑紫の綿のことを詠んだ一首。
沙弥満誓はもとの名は笠麿(かさのまろ)といい、朝廷に仕える笠氏出身の朝臣でしたが元明天皇の病の際に出家し沙弥満誓となりました。
その後、723年に筑紫観音寺別当として大宰府に赴任したそうなので、この歌を詠んだ時点では大宰府にいたものと思われます。

この歌以前の巻三(三三五)までの歌と、次の山上憶良(やまのうへのおくら)の巻三(三三七)の歌までが小野老(をののおゆ)の帰還を祝う宴の席でのものと考えるなら、その間にあるこの歌もまたその席上で詠まれたもののはずですが、大伴旅人(おほとものたびと)たちの奈良の京を懐かしんで詠んだ望郷歌の後に突然綿を詠んだ物詠歌が登場するためにこの歌の解釈は昔から多くの人を悩ませてきたようです。

ただ、当時の大宰府のあった筑紫は綿の生産で有名で、綿を誉めることで筑紫もまたよい場所ですよと旅人たちを諭して慰めていると解釈すればそれほど違和感のない一首であるように僕には思えます。
「身につけていまだ着たことはないけれど」とは、まさに筑紫の国を知り尽くしていない旅人たちのことを譬えて言っているのではないでしょうか。

「みなさまは奈良の京を恋しいと嘆かれますしその気持ちは私も同じですが、明日香の宮や藤原京から奈良の京に遷都したときにも故き京が懐かしいと感じられたでしょう。おなじように大宰府のある筑紫もまた住めば京ですよ。まだ身につけたことのない筑紫のあの綿を着てごらんなさい。あんなにも暖かそうに見えることです。」との、僧侶である沙弥満誓らしい慰めと諭しの一首なのではないでしょうか。

実際、沙弥満誓が諭したように大宰府での旅人たちの生活も決して悪いものではなく、旅人や憶良たちの大宰府での暮らしは後の世に筑紫歌壇(つくしかだん)と呼ばれる一種の憧れを持って語られることになる華やかさも持ち合わせていました。
小野老の巻三(三二八)の歌からつづくこれらの一連の歌が実際にはどんな状況で詠まれたものであるのかは分かりませんが、旅人の望郷歌の後にこの歌を並べた万葉集編者の大伴家持のこころにも筑紫歌壇への憧れがあったことと思われます。
「親父は大宰府での日々を鬱屈して過ごしていたようだけれど、僕から見ればあの時代の親父たちは楽しそうで輝いて見えるよ」との、そんな思いが旅人の子である家持には実際にあったようです。


綿花。



花が散った後の種から綿が取れます。


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万葉集巻三


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県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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