万葉集入門
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日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。
(解説:黒路よしひろ)

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『吉田宜書簡』

宜啓(よろしまを)す。伏して四月六日の賜書(ししよ)を奉(うけたまは)る。跪(ひざまづ)きて封函(ふうかん)を開き、拝(をろが)みて芳藻(はうさう)を読む。心神(こころ)は開郎にして、泰初(たいしよ)が月を懐(むだ)きしに似(に)、鄙懐除去(ひくわいぢよきよ)して、楽広(がくくわう)が天を披(ひら)きしが若(ごと)し。「辺城に羇旅(きりよ)し、古旧を懐(おも)ひて志を傷(いた)ましめ、年矢停(ねんしとどま)らず、平生を憶(おも)ひて涙を落とすが若(ごと)きに至る」は、ただ達人の排(はい)に安みし、君子の悶(うれへ)無きのみ。伏して冀(なが)はくは、朝(あした)には雉(きぎし)を懐(なつ)けし化(け)を宣べ、暮(ゆふへ)には亀を放ちし術(すべ)を在し、張・趙(てう)を百代に架(か)し、松(しよう)・喬(けう)を千齢に追はむを。兼ねて垂示(すいじ)を、奉(うけたまは)るに、梅苑の芳席(はうせき)に、群英の藻(さう)を述(の)べ、松浦の玉潭(たん)に、仙媛(やまひめ)の贈答せるは、杏壇(きやうだん)各言の作に類(たぐ)ひ、衝皐税駕(かうかうぜいが)の篇に疑(なぞ)ふ。耽読吟諷(たんどくぎんぷう)し、戚謝歓怡(せきしやくわんい)す。宜(よろし)の主(うし)を恋(しの)ふ誠は、誠、犬馬に逾(こ)え、徳を仰ぐ心は、心葵蕾(きくわく)に同じ。而も碧海(へきかい)は地を分ち、白雲は天を隔て、徒らに傾延(けいえん)を積む。何(いか)に労緒(らうしよ)を慰めむ。孟秋(まうしう)、節に膺(あた)れり。伏して願はくは万祐(まんいう)の日に新たならむを。今相撲部領使(すまひのことりづかひ)に因りて、謹みて片紙(へんし)を付く。宜、謹みて啓(まを)す。不次(ふし)

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宜が申し上げます。謹んで四月六日のお手紙を頂戴いたしました。跪きて文箱を開き、立派なお手紙を拝読いたしました。おかげで私の心は明るく開け、泰初が月を懐にしていたような心地で、賤しき心が除かれて爽やかな心地がして、古人が楽広に逢って晴天を仰いだ心地がしたごとくです。あなたが「辺城の大宰府に旅して、昔を思っては心を悲しませ、過ぎ去る歳月に、若き日を思い出しては涙を落とす」とお書きですが、ただ達人の境地で過ごし、君子として憂いたりせずに過ごすしかありません。願うならば、朝には雉さえも懐かせたという魯恭のような徳を敷き、暮れには孔愉が亀を逃がしてやったような仁術を持ち、張敞や趙広漢のような名声を百年の後までも伝えられ、赤松子や王子喬のように千年の長寿を保ってください。あわせて、お示しくださったように、梅花の宴に優れた多くの人々が立派な歌を作り、松浦川の淵に仙女と歌を贈答されたのは孔子の講壇で人々が意見を述べたごとくで、曽植が「神女の賦」で車駕を香草の沢に捨てた篇かと思うほどです。繰り返し読んでは口ずさみ、お気持ちに感謝して楽しんでおります。この宜のあなたを思う気持ちは犬馬を凌ぎ、徳を仰ぐ心は向日葵が太陽に向くごとくです。しかも我々の間には青海が隔てて遠く、白雲は天をさえぎり、空しく思慕を重ねるばかりです。いかにして心を慰めましょう。今は七月、季節の移り変わる節にあたります。伏して日々加護のありますようにお祈りいたします。折しも今、相撲の部領使いが下向するので、謹んで書簡を託します。
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この文章は、大宰師の大伴旅人(おほともたびと)が奈良の都にいる吉田宜(よしだのよろし)に贈った書簡に、吉田宜が返書して贈ったものです。
旅人はこの宜への書簡に「梅花(うめはな)の歌」二十三首(巻五:八一五 〜 八四六までを参照)や、「松浦河に遊ぶ」の歌(巻五:八五三 〜 八六三までを参照)を添えて贈ったようですね。

吉田宜(よしだのよろし)は百済からの渡来人の吉氏の子孫で、出家して「八恵俊」と名乗っていたのを文武天皇が還俗させて以後、吉田姓を賜りました。
吉氏は代々、医術の家系で吉田宜も医師でもあったようですね。
大伴旅人とは奈良の都で親しい間柄だったのでしょう。

そんな吉田宜が旅人からの手紙に返した返書ですが、旅人から贈られた手紙を読んで心が明るく開け晴天を仰いだ心地のごとくだと謝辞を述べています。
「泰初(たいしよ)」は昔の魏の人物で「朗々として日月の懐に入れるが如し」とは世説新語にある故事。
「楽広(がくくわう)」は晋の人物でこちらも晋書に「晴天を仰ぐ」の故事があります。

吉田宜が渡来系の人物であるためか他にも大陸の故事を譬えにした文章が多く続きますが、旅人たちがこれらの故事を解したであろうことからも奈良時代には大陸からの文化の影響が大きかったことが伺えますね。

また旅人が書簡に添えて贈った「梅花(うめはな)の歌」や「松浦河に遊ぶ」の歌にも孔子(こうし)や曽植(そうしよく)の故事に譬えて讃え、「繰り返し読んでは口ずさみ、お気持ちに感謝して楽しんでおります。」と謝辞を伝えています。
そして折しも下向する相撲の部領に書簡を託したことを伝えて手紙を締めくくっています。

相撲とは、この頃、宮中で七夕に相撲の節会が行われ諸国から相撲人が集めらたようです。
そんな相撲の節会が終わって諸国へ帰ってゆく相撲人を引率する部領に書簡を託したというわけですね。

この書簡とともに宜もまた旅人に以降の歌(巻五:八六四などを参照)を数首添えて贈ったわけですが、大伴旅人や吉田宜が交わした書簡が万葉集の歌とともにこのような形で現在に伝わっているのは、当時の人々を知るうえで非常に貴重な資料ですよね。

以下、吉田宜の歌が続きます。


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万葉集巻五の他の歌はこちらから。
万葉集巻五


万葉集書籍紹介(参考書籍)
万葉集(1)〜〜(4)&別冊万葉集辞典 中西進 (講談社文庫) 定価637円〜〜1145円(税別)
県立万葉文化舘名誉館長でもある中西進さんによる万葉集全四冊&別冊万葉集辞典です。
万葉集のほうは原文、読み下し訳、現代語訳、解説文が付けられていて、非常に参考になりこの4冊で一応、万葉集としては充分な内容になっています。
他の万葉集などでは読み下し訳のみで現代語訳がなかったりと、初心者の方には難しすぎる場合が多いですが、この万葉集ではそのようなこともありません。

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