万葉集入門
明日香村へ行こう
万葉集の故郷、奈良県明日香村やその周辺の史跡などを紹介しています。
机の上での鑑賞だけでなく、ぜひみなさんも万葉集の歌が詠まれた現地を訪れて歌の心に触れてみてください。
(解説:黒路よしひろ)

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雷丘(いかづちのおか)
柿本人磨呂が「大君は神にし座せば天雲の雷の上に廬らせるかも」と詠んだ「雷丘(いかづちのおか)」は、明日香村の北西、甘樫丘の北にあります。
少し前までは草木が生い茂っているボサ山でしたが、2005年に発掘調査が行われたあと整備され、現在では木の階段も付けられて自由に上に登ることも出来るようになっています。

雷丘

現在の雷丘

この発掘調査で、山頂から5世紀頃の埴輪片や7世紀頃の古墳の石室、中世期の城郭跡などが発見されました。


整備されていて登ることも出来ますが…
まあ、登っても見るものはこれといって何もないです(笑)


出来れば屋根付きの休憩所ぐらいは欲しいところですね。

なお、日本霊異記にはこの雷の丘について次のような行があります。

雷丘(いかづちのおか)の名前の由来
日本霊異記によると、かつて雄略天皇が小子部(ちいさこべ)の栖軽(すがる)という者に雷を呼んでくるようにと申し付けたそうです。
栖軽は宮殿を退出し、軽の諸越の町中に着くと「天の雷神よ、天皇がお呼びであるぞ」と叫んだといいます。
そして走り帰ると豊浦寺と飯岡の中間のところに雷が落ちていたので輿に乗せて宮殿へ運ぶと、雷ははげしく光を放ちました。
これを恐れた天皇は、雷に供え物をして落ちたところに返させたといいます。
その場所が「雷丘」です。

また、この話には後日談があり、栖軽が死んだ後、天皇は雷の丘に栖軽の墓を作り「雷をとらえた栖軽の墓」と碑文を書いた柱を立てたそうです。
これをうらんだ雷は雷鳴を響かせ碑文の柱を蹴飛ばし踏みつけたところ、はしらの裂け目にはさまってまたもとらえられてしまいました。
天皇は雷を助け出し許し、もう一度柱を立て碑文に「生きているときばかりでなく、死んでからも雷をとらえた栖軽の墓」と書いたといいます。

この伝説がちょうど5世紀頃のことですので、先の発掘調査で発見された埴輪片は栖軽の墓の埋葬品と考えることも出来ますね。


明日香村
甘樫丘  雷丘  橘寺

石舞台  亀石  額田王の墓(植山古墳)

酒船石  亀形石造物  飛鳥寺

飛鳥坐神社  くつな石  都塚古墳

神なび  良助親王冬野墓

犬養万葉記念館

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