万葉集入門
明日香村へ行こう
万葉集の故郷、奈良県明日香村やその周辺の史跡などを紹介しています。
机の上での鑑賞だけでなく、ぜひみなさんも万葉集の歌が詠まれた現地を訪れて歌の心に触れてみてください。
(解説:黒路よしひろ)

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都塚古墳(みやこづかこふん)
くつな石に向かう途中にある都塚古墳は近年の発掘で蘇我氏にゆかりの古墳であった可能性が強くなりにわかに脚光を集めています。



都塚古墳

都塚古墳へは石舞台前の道を多武峰方面に北に向かって少し登ったところにある三叉路の橋を吉野(稲渕・栢森)方面に進めば案内板が立っていますので、すぐにわかると思います。
石舞台からは徒歩で10分ほどです。



2014年の発掘調査では、都塚古墳は作成された当初、階段状のピラミッドのような形状をしていたことなど様々な発見がありました。


2014年8月都塚古墳現地説明会写真
2014年8月都塚古墳現地説明会写真


(2014年8月都塚古墳現地説明会写真)
都塚古墳の東面にはこのような階段状の段差が四段ほど確認され、この古墳がもともとはエジプトのピラミッドのような形状をしていたことが確認されました。

また、都塚古墳は作られた年代が近くにある蘇我馬子(そがのうまこ)のお墓といわれる石舞台古墳よりも古く、石舞台を見下ろす(石舞台が都塚古墳を見上げる)位置にあることから、蘇我一族に関連する人物で入鹿よりも地位の高い人物のお墓である可能性が高く、おそらくは馬子の父親の蘇我稲目(そがのいなめ)のお墓なのではないか…との仮説が立てられています。



(2014年8月都塚古墳現地説明会写真)
都塚古墳の西側裾には200人ぐらいが入れるテラス状の墳丘があり、そこに立つと飛鳥の都方面が見渡せるようになっていたようです。

また、古墳の東面には階段のような段差が四段ほど確認され、この古墳がもともとはエジプトのピラミッドのような形状(大きさははるかに小さいけど)の日本では特殊な古墳で、これはこの都塚古墳の埋葬者が特別な権力を持っていたことを物語っているのだとか。



都塚古墳の石室。
1967年(昭和42年)に関西大学文学部考古学研究所(代表:綱干善教)によって最初の発掘をした時点ですでにこの様に蓋が開けられて埋葬品は盗掘された後だったそうです。



こちらは明日香村の石舞台古墳(蘇我馬子の墓といわれています。)
都塚古墳はこの石舞台のすぐ近くの東(写真の石舞台の後ろ側)の山裾にあり、石舞台古墳から見上げる位置に存在しています。
このことから、蘇我一族に関連する人物で馬子よりも地位の高い人物のお墓である可能性が高く、おそらくは馬子の父親の蘇我稲目(そがのいなめ)のお墓なのではないかとのこと。

都塚古墳へは石舞台前の道を多武峰方面に北に向かって少し登ったところにある三叉路の橋を吉野方面に進めばすぐに案内板が立っていますので、石舞台に行かれた時はぜひ都塚古墳にも足を運んでみてください。
石舞台からだと徒歩で10分ほどの距離ですので。


明日香村
甘樫丘  雷丘  橘寺

石舞台  亀石  額田王の墓(植山古墳)

酒船石  亀形石造物  飛鳥寺

飛鳥坐神社  くつな石  都塚古墳

神なび  良助親王冬野墓

犬養万葉記念館

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