明日香村へ行こう
万葉集の故郷、奈良県明日香村やその周辺の史跡などを紹介しています。
机の上での鑑賞だけでなく、ぜひみなさんも万葉集の歌が詠まれた現地を訪れて歌の心に触れてみてください。
(解説:黒路よしひろ)
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額田王の墓(植山古墳)
万葉集の女性歌人の中でもとりわけ有名な人物が額田王(ぬかたのおおきみ)です。
三輪山の歌や大海人皇子との相聞歌など、この額田王の歌に心魅かれた方も少なくないかと思います。
その額田王が葬られた場所は明らかにはなっていませんが、明日香村の野口にある植山古墳(野口植山城跡)こそがそのお墓ではないかとの伝説が村に伝わっています。
明日香村野口にある植山古墳。
明日香中央公民館の南にある明日香小学校の西隣に位置しています。
また、亀石のちょうど南でもあるので、場所的には分かりやすいかと思います。
古墳の西にある民家の敷地内から登れば楽に登れますが、古墳を訪ねる人が敷地内を通る許可を一々もらいに伺うのもそこのお宅のご迷惑になるといけないので、今回は東側から登る方法を紹介しておきます。
植山古墳の東側にこのような狭い道があるのでここを入って行き…
古墳伝いにさらに進んで行きます。
このような場所に出たら、適当に登れそうな場所を探して登りましょう。
いや、正直こちらからのルートは、道と呼べるような道もないのでどこを進めばいいのか分かりませんが、とりあえず適当に高い場所を目指して進みます^^;
この古墳は一時期、城として使われていたことがあり、途中に空掘などが存在するのでおっこちて怪我をしないように気をつけましょう。
竹の葉などが積もっていて空堀に気付かない場合もあるので、もしこの古墳に登られるときはとくに気をつけてください。
途中で西側の民家から繋がる少し歩きやすい山道に出るので、そこまで来たら東の頂上を目指します。
東の頂上には額田王の歌碑が立っています。
古に恋ふらむ鳥は時鳥けだしや鳴きしわが念へるごと
歌碑の裏にはここに額田王が葬られたとされる由縁が刻まれています。
解説を読むと、どうやら額田王の孫の葛野王が持統天皇の崩御後に額田王のお墓をこの場所に西向きにつくり、額田王のお墓を他の場所からわざわざ移したのだそうです。
持統天皇といえば、額田王のかつての夫だった天武天皇(大海人皇子)の妻で、天武天皇とおなじ墓稜に葬られた人物…
その持統天皇が亡くなって天武天皇とおなじお墓に葬られたときに、そのお墓のすぐ側にあるこの場所に額田王のお墓を孫の葛野王が天武・持統稜の方向に向く形でつくった。
なんだかさりげなく書かれていますが、恋のライバルだった持統天皇と額田王の関係が見てとれて面白いですね。
ちなみに奈良県桜井市の忍坂の舒明天皇陵の側には額田王の姉(一説によると伯母とも)の鏡王女(かがみのおおきみ)のお墓があり、近くの有名な石位寺の石仏は額田王が鏡王女の菩提を弔う為に拝んだ念持仏だともいわれています。
鏡王女忍阪墓
また、忍坂近くの粟原寺を創建したとされる比売朝臣額田なる人物は、藤原氏に臣籍降嫁した額田王だとの説もあるので、額田王は最初に鏡王女の墓の側であるこのあたりに埋葬され、後にここから、植山古墳に移葬された可能性もありますね。
粟原寺跡(おうばらでらあと)
額田王は最初、ここの側あたりに埋葬されたのかも…
粟原寺跡解説。
まあ、どれも伝説や想像にすぎませんが、探究心を掻きたててくれる歴史のロマンが感じられて素敵ですね。
みなさんも機会があればぜひ額田王に関連した伝説を求めて、明日香村や桜井市を訪れてみてください。
明日香村
甘樫丘 雷丘 橘寺
石舞台 亀石 額田王の墓(植山古墳)
酒船石 亀形石造物 飛鳥寺
飛鳥坐神社 くつな石 都塚古墳
神なび 良助親王冬野墓
犬養万葉記念館
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